2018年08月31日
「ゲッベルスと私」
この人は微妙に本当のことを言っていないかもしれない
何かを隠そうとしているのかもしれない
ナチの宣伝相ゲッペルスの秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの独白「ゲッベルスと私」
「ナチが何をしようとしていたかも、強制収容所のことも知らなかった
私は職務上の言われたことを実行したに過ぎなかった」
「政治には関心がなかった。重要なのは仕事であり、物質的な安定であり、上司への義務を果たすことであり
なにかに所属することだった」
「当時の私は年若い、恋に夢中な娘に過ぎなかった。そういうことのほうが重要だった」
しかし彼女は重要なポジションにいたので(知らないはずはなかったという証拠もないとも言えず)
結果的に戦後5年間ロシアに拘留された
先月名古屋で上映された映画「ゲッベルスと私」を書籍化したもので
事情があって映画を見に行けなかったので、書籍化されていることを知って早速購入した
うすうす何かが起きていることを感じながら、見ないふり、無関心を装う
自分の生活・関心事が最優先という極めて利己主義的な態度と行動(後にして思えば)
でももしかしたら彼女が特別なのではなく、自分もその立場にいたらそうしていたかもしれない
と思い浮かべることは残念ながら想像がつく
これらは残念なことで読んでいて少しばかり落ち込んでしまうがだが
世の中にはこのような(平凡・凡庸な)人ばかりでなく尊敬すべき人たちも存在する
この本のあとに読んでいる「ヒトラーに抵抗した人々」(中公新書)には
一般市民の中にナチに抵抗した人を紹介している
(白バラ通信、エミールおじさんグループ その大半は刑死の運命をたどってしまったが)
自分自身の価値観によって問題を見つめ、問い考える人たちがいる
(この時の状況下における)不安や恐怖に打ち勝つことは、もちろん容易でないだろう
しかしそれを乗り越えた人びとには、もはや他人にどう見られるかではなく、自分が何をなすべきかが
問題であった
ハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」とは思考停止してシステムを無批判に受け入れること
NHKの「チコちゃんに叱られる」ではないけど、知ってるつもりでも知らないことはあるもので
そもそもどういう意味なのかとか、全体的な空気はそうだが、それで良いのか、、とか問を発するのも
必要なのではないか、、、と思ったりする
今日は暑いのにちょいと真面目な、面倒くさいお話、、、
何かを隠そうとしているのかもしれない
ナチの宣伝相ゲッペルスの秘書ブルンヒルデ・ポムゼルの独白「ゲッベルスと私」
「ナチが何をしようとしていたかも、強制収容所のことも知らなかった
私は職務上の言われたことを実行したに過ぎなかった」
「政治には関心がなかった。重要なのは仕事であり、物質的な安定であり、上司への義務を果たすことであり
なにかに所属することだった」
「当時の私は年若い、恋に夢中な娘に過ぎなかった。そういうことのほうが重要だった」
しかし彼女は重要なポジションにいたので(知らないはずはなかったという証拠もないとも言えず)
結果的に戦後5年間ロシアに拘留された
先月名古屋で上映された映画「ゲッベルスと私」を書籍化したもので
事情があって映画を見に行けなかったので、書籍化されていることを知って早速購入した
うすうす何かが起きていることを感じながら、見ないふり、無関心を装う
自分の生活・関心事が最優先という極めて利己主義的な態度と行動(後にして思えば)
でももしかしたら彼女が特別なのではなく、自分もその立場にいたらそうしていたかもしれない
と思い浮かべることは残念ながら想像がつく
これらは残念なことで読んでいて少しばかり落ち込んでしまうがだが
世の中にはこのような(平凡・凡庸な)人ばかりでなく尊敬すべき人たちも存在する
この本のあとに読んでいる「ヒトラーに抵抗した人々」(中公新書)には
一般市民の中にナチに抵抗した人を紹介している
(白バラ通信、エミールおじさんグループ その大半は刑死の運命をたどってしまったが)
自分自身の価値観によって問題を見つめ、問い考える人たちがいる
(この時の状況下における)不安や恐怖に打ち勝つことは、もちろん容易でないだろう
しかしそれを乗り越えた人びとには、もはや他人にどう見られるかではなく、自分が何をなすべきかが
問題であった
ハンナ・アーレントのいう「悪の凡庸さ」とは思考停止してシステムを無批判に受け入れること
NHKの「チコちゃんに叱られる」ではないけど、知ってるつもりでも知らないことはあるもので
そもそもどういう意味なのかとか、全体的な空気はそうだが、それで良いのか、、とか問を発するのも
必要なのではないか、、、と思ったりする
今日は暑いのにちょいと真面目な、面倒くさいお話、、、
Posted by パパパ at 10:15│Comments(0)
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