2022年05月09日
背比べ
月木の朝の日課は近所の子供たちとのウオーキング
見慣れているはずなのに、彼らの背が高くなっている
と感じたりすることがある
夏休み明けはしばらく見ていないので、それはよくあることだが
今朝も不意に、彼は大きくなったな、、、と気付かされた
身長が伸びただけなく、足の筋肉もたくましくなって
今までは棒のようだったのが、明らかに重いものも運べる体になっている
昔のサッカーのコーチ時代、練習の前後、小学1.2年生がゴールを運ぶときなどは
彼らはほとんどその作業に参加してるだけ、手を添えているだけで
力を出していない(出せていない)
あの細い体を見れば力など出るはずはない、、と結局は大人が頑張ることになっていた
ただみんなで運ぶという行為は大事だと思っていた
校門で小1の子がやってくるのを迎えると、少し前までこども園にいたことに気付かされる
ちっちゃい、、この子たちは小学校までの道のりは長く感じるだろうな、、
と余計な心配をしてしまう
でもこの子たちも知らないうちに逞しくなっていく
近所の子で一番小さいのは小2、この子も一年の間にいろんな面で成長した
最初はなんでも言うことを素直に聞いてたのが、少しづつ我儘になって
少し都合の悪いことをする時はお姉ちゃんに見つからないように
悪知恵が働くようになったりして、、、
それに歩くスピードも早くなった(でも列の最後を歩いている)
ほんと、みんな大きくなったな、、などと感心してると
不意に「柱の傷は一昨年の、、、」という歌が頭に浮かんだ
釘で柱に自分たちの身長を印する
そんなことは昔自分たちもやった
柱に兄弟分の幾つもの横棒の傷がつく
その傷も喜ばしい思い出として親たちは見逃す
傷だらけのその柱は今はない
今の子たちは「背くらべ」の歌をどのくらいのリアリティをもって歌うのだろう
柱の傷は許されているのだろうか
背くらべ
見慣れているはずなのに、彼らの背が高くなっている
と感じたりすることがある
夏休み明けはしばらく見ていないので、それはよくあることだが
今朝も不意に、彼は大きくなったな、、、と気付かされた
身長が伸びただけなく、足の筋肉もたくましくなって
今までは棒のようだったのが、明らかに重いものも運べる体になっている
昔のサッカーのコーチ時代、練習の前後、小学1.2年生がゴールを運ぶときなどは
彼らはほとんどその作業に参加してるだけ、手を添えているだけで
力を出していない(出せていない)
あの細い体を見れば力など出るはずはない、、と結局は大人が頑張ることになっていた
ただみんなで運ぶという行為は大事だと思っていた
校門で小1の子がやってくるのを迎えると、少し前までこども園にいたことに気付かされる
ちっちゃい、、この子たちは小学校までの道のりは長く感じるだろうな、、
と余計な心配をしてしまう
でもこの子たちも知らないうちに逞しくなっていく
近所の子で一番小さいのは小2、この子も一年の間にいろんな面で成長した
最初はなんでも言うことを素直に聞いてたのが、少しづつ我儘になって
少し都合の悪いことをする時はお姉ちゃんに見つからないように
悪知恵が働くようになったりして、、、
それに歩くスピードも早くなった(でも列の最後を歩いている)
ほんと、みんな大きくなったな、、などと感心してると
不意に「柱の傷は一昨年の、、、」という歌が頭に浮かんだ
釘で柱に自分たちの身長を印する
そんなことは昔自分たちもやった
柱に兄弟分の幾つもの横棒の傷がつく
その傷も喜ばしい思い出として親たちは見逃す
傷だらけのその柱は今はない
今の子たちは「背くらべ」の歌をどのくらいのリアリティをもって歌うのだろう
柱の傷は許されているのだろうか
背くらべ
2022年05月06日
改修が放ったらかしになっていたのは何故か?
地元新城市の話題 ずっと気になっていたので備忘録の意味も込めて
新城市では小中学校の給食は、令和6年度より一括して作り
配送するセンター方式とする案が予算決定されてる
だが、これは今でも問題がくすぶっている
それは本当にセンター方式が良いのか?
センター方式の決定に至る過程にどこか不自然なところはないか?
または適切なステップを踏んでいないのではないか?
センター方式とする大きな理由の各学校の給食室の老朽化は
そもそも行政の怠慢ではなかったのか?
また今後の人口減を考えると過剰と思われる規模は適正なのか?
などが挙げられる(その他いろいろあるが)
正直なところ、自分は何が適切な判断なのかわからない
一番の当事者である学校関連の人の実感を伴う考えは重要だと思う
だがその実感も人によってだいぶ違う(男女の意識の差も実感する)
結局は決定は一部の少数者によってなされたもので
それを認めるのは予算案の承認という議決を経ることになるが
議会は十分な情報のもと適切に判断をしているか?
だが例のごとく(どの自治体もそうかも知れないが)議会では
たいした討論もされることなく行政案の承認となった
ここでずっと不思議だったのは、学校の給食室の老朽化が
なぜ放ったらかしになっていたのか?という点だ
なぜなら給食室の老朽化は議会の一般質問でも時々問題視されたからだ
行政はその問題点を認識していたはずなのに
なぜ予算をつけて改修を行わなかったのか
その指摘をした議員が共産党員だったからか?(まさか!)
そこで予算の組み方について市役所に出向いて聞いてみた
新城市は財政に余裕がないので予算は枠配分方式で行うようになっている
必要な予算を積み上げて要求する方法ではなく
各部門に一定のルールのもと予算配分をしてその範囲内で自主的に
優先順位等を決めて予算計上するというものだ
すると、この給食室の改修はいつも優先順位にはあがっていなかったのだろうか
ということになる
学校に予算がないという話は、別のところでも聞いている
地元の小学校の教頭先生は今は紙を買うお金もないと嘆いていた
(体育館の切れた照明はいつまで経ってもそのままだ)
以前は行政は学校からあがってくる予算要望が適切か実際に学校に訪れて
チェックしていたそうだ(聞き取った人の時代は)
給食室の改修費用より優先すべきものが学校に必要なものが
以前も今も存在するということだろうか
つまるところ市にはお金がない!という結論になるようだ
実は市の収入の92%は使いみちが決まっている
職員の給与とか負債の返還とか、その他の経費で自由に使えるのは8%しかない
その8%に給食室の改修をする余裕はないということらしい
それを思うと大事な8%の枠はよく考えて使ってほしいと思うが
どうも実績が伴わないものに使われているような気がしてならない
それでも、物は古くなれば痛むという現実は誰でも知っているはずなのに
なぜ予めそれを見越した予算計上をしないのか?が次に湧いてくる疑問だ
新しいものを作ったならば、何年後には不具合が出てくる可能性がある
そして早め早めに補修しておけば、ものは耐用年数が長くなる
これは誰でも思いつく
なぜ、そうした考えがなされないのか?
すると、行政のある人曰く
行政は(今までは)徐々に手を入れるというのではなく
壊れたら直すというシステムになっていたからが一つの答えらしい
つまりはいつか悪くなる可能性があるものも
そのことを少しも考えずにいたということだ
これは市の会計が、今年度入ったもの、今年度出たものでしか表せない方式
になっていることも、その原因の一つかもしれない
だからこそ行政も徐々に民間の会計(複式簿記)を併用するようになってきたらしい
誰でも思いつく、こまめに手を入れておけばものは長持ちするという考え方は
今は公共施設の高寿命化という政策に従って、そのようになされつつあるようだ
(やっとか!)
つまりは単純に誰かが悪いというレベルものではなく、制度を含めた構造的な問題
かもしれないとさえ思えてくる
市にはお金がない、、国もお金がない
お金がないなら上手なお金の使い方を望みたいが
それを現実世界で仕切るのは投票という委任を受けた人たち
代表制民主主義という言葉が、妙に重く感じられる(それはいい方法かと?)
という訳で、改修が放ったらかしになっていたのは不思議だな!
と思ったことをきっかけに、いろいろ考えてみたこと
新城市では小中学校の給食は、令和6年度より一括して作り
配送するセンター方式とする案が予算決定されてる
だが、これは今でも問題がくすぶっている
それは本当にセンター方式が良いのか?
センター方式の決定に至る過程にどこか不自然なところはないか?
または適切なステップを踏んでいないのではないか?
センター方式とする大きな理由の各学校の給食室の老朽化は
そもそも行政の怠慢ではなかったのか?
また今後の人口減を考えると過剰と思われる規模は適正なのか?
などが挙げられる(その他いろいろあるが)
正直なところ、自分は何が適切な判断なのかわからない
一番の当事者である学校関連の人の実感を伴う考えは重要だと思う
だがその実感も人によってだいぶ違う(男女の意識の差も実感する)
結局は決定は一部の少数者によってなされたもので
それを認めるのは予算案の承認という議決を経ることになるが
議会は十分な情報のもと適切に判断をしているか?
だが例のごとく(どの自治体もそうかも知れないが)議会では
たいした討論もされることなく行政案の承認となった
ここでずっと不思議だったのは、学校の給食室の老朽化が
なぜ放ったらかしになっていたのか?という点だ
なぜなら給食室の老朽化は議会の一般質問でも時々問題視されたからだ
行政はその問題点を認識していたはずなのに
なぜ予算をつけて改修を行わなかったのか
その指摘をした議員が共産党員だったからか?(まさか!)
そこで予算の組み方について市役所に出向いて聞いてみた
新城市は財政に余裕がないので予算は枠配分方式で行うようになっている
必要な予算を積み上げて要求する方法ではなく
各部門に一定のルールのもと予算配分をしてその範囲内で自主的に
優先順位等を決めて予算計上するというものだ
すると、この給食室の改修はいつも優先順位にはあがっていなかったのだろうか
ということになる
学校に予算がないという話は、別のところでも聞いている
地元の小学校の教頭先生は今は紙を買うお金もないと嘆いていた
(体育館の切れた照明はいつまで経ってもそのままだ)
以前は行政は学校からあがってくる予算要望が適切か実際に学校に訪れて
チェックしていたそうだ(聞き取った人の時代は)
給食室の改修費用より優先すべきものが学校に必要なものが
以前も今も存在するということだろうか
つまるところ市にはお金がない!という結論になるようだ
実は市の収入の92%は使いみちが決まっている
職員の給与とか負債の返還とか、その他の経費で自由に使えるのは8%しかない
その8%に給食室の改修をする余裕はないということらしい
それを思うと大事な8%の枠はよく考えて使ってほしいと思うが
どうも実績が伴わないものに使われているような気がしてならない
それでも、物は古くなれば痛むという現実は誰でも知っているはずなのに
なぜ予めそれを見越した予算計上をしないのか?が次に湧いてくる疑問だ
新しいものを作ったならば、何年後には不具合が出てくる可能性がある
そして早め早めに補修しておけば、ものは耐用年数が長くなる
これは誰でも思いつく
なぜ、そうした考えがなされないのか?
すると、行政のある人曰く
行政は(今までは)徐々に手を入れるというのではなく
壊れたら直すというシステムになっていたからが一つの答えらしい
つまりはいつか悪くなる可能性があるものも
そのことを少しも考えずにいたということだ
これは市の会計が、今年度入ったもの、今年度出たものでしか表せない方式
になっていることも、その原因の一つかもしれない
だからこそ行政も徐々に民間の会計(複式簿記)を併用するようになってきたらしい
誰でも思いつく、こまめに手を入れておけばものは長持ちするという考え方は
今は公共施設の高寿命化という政策に従って、そのようになされつつあるようだ
(やっとか!)
つまりは単純に誰かが悪いというレベルものではなく、制度を含めた構造的な問題
かもしれないとさえ思えてくる
市にはお金がない、、国もお金がない
お金がないなら上手なお金の使い方を望みたいが
それを現実世界で仕切るのは投票という委任を受けた人たち
代表制民主主義という言葉が、妙に重く感じられる(それはいい方法かと?)
という訳で、改修が放ったらかしになっていたのは不思議だな!
と思ったことをきっかけに、いろいろ考えてみたこと
2022年05月02日
八十八夜の別れ霜
「八十八夜の別れ霜」
今朝、突然この言葉を聞いた(こんな言葉は知らなかった)
今日5月2日は八十八夜であることを知った同居人が
少し自慢げに朝の挨拶より先に口にした
(別れ霜はなんか風情があるな)
それに対抗する訳ではないが、自分は
先日に山吹の花が咲いていたのを取り上げて
「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」
のエピソードを口にしてみたら「太田道灌ね」と、すんなり答えた
少し驚いた
高校の教科書で覚えたエピソードだが同居人も知っていたとは
間違い探しと、クロスワードパズルの大好きな人は
時々、全く知らないことを口にして驚かす
亀の甲より年の功
きっと、そうだろうな、、、と実感する
今朝、突然この言葉を聞いた(こんな言葉は知らなかった)
今日5月2日は八十八夜であることを知った同居人が
少し自慢げに朝の挨拶より先に口にした
(別れ霜はなんか風情があるな)
それに対抗する訳ではないが、自分は
先日に山吹の花が咲いていたのを取り上げて
「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき」
のエピソードを口にしてみたら「太田道灌ね」と、すんなり答えた
少し驚いた
高校の教科書で覚えたエピソードだが同居人も知っていたとは
間違い探しと、クロスワードパズルの大好きな人は
時々、全く知らないことを口にして驚かす
亀の甲より年の功
きっと、そうだろうな、、、と実感する
2022年04月26日
少女と少年
あちらからのコピペ
先週の木曜日、外国をルーツに持つ子の勉強の手伝いでの出来事
自分の担当のRくんは、お腹が痛いということで
親に電話をかけて急遽迎えに来てもらうことにした
手持ちぶたさとなったので、他のスタッフの勉強の様子が耳に入る
落ち着きのない男の子にスタッフは
「少女、これってどういう意味かわかる?」
少しして続ける
「女って字があるから、見当はつくよね。小さい女の子って意味
なら、男の子は何ていうのかな?」
「少男?」
「違う、少年っていうんだよ、男の子は少年」
不意に、なぜ男の子は彼が即断で答えたように少男ではないのだろうか?
と疑問が浮かんだ
確かに、変だ、男だけ少年という年の字を使ってる、なぜだろう?
話は変わって、子どもも大きくなると固有名詞だけでなく
概念的な言葉を覚えるようになる
この説明がなかなか難しい
「事実と意見を区別する」という文字の書き取りが
帰ってしまった男の子の宿題にあった
「この意味わかる?」
「わからない!」
さあ困った、、事実という意味をわかるように説明するには、、、
そこで、一学年上の男の子にポルトガル語でいいから事実の意味を教えてあげて!
と頼んでみた
ところがこのような概念的な言葉は説明が難しい、、
彼は、、うううん、、ええと、、
少し考えていたが諦めた
人が言葉を覚えていくのは、難しいものだ、、と改めて実感する
そのうち何となくわかるようになるのだろうか
若干の不安を覚えながら、そんな風に思ってみる
しかし、なぜ女の子は少女なのに、男は少年なのだろう
先週の木曜日、外国をルーツに持つ子の勉強の手伝いでの出来事
自分の担当のRくんは、お腹が痛いということで
親に電話をかけて急遽迎えに来てもらうことにした
手持ちぶたさとなったので、他のスタッフの勉強の様子が耳に入る
落ち着きのない男の子にスタッフは
「少女、これってどういう意味かわかる?」
少しして続ける
「女って字があるから、見当はつくよね。小さい女の子って意味
なら、男の子は何ていうのかな?」
「少男?」
「違う、少年っていうんだよ、男の子は少年」
不意に、なぜ男の子は彼が即断で答えたように少男ではないのだろうか?
と疑問が浮かんだ
確かに、変だ、男だけ少年という年の字を使ってる、なぜだろう?
話は変わって、子どもも大きくなると固有名詞だけでなく
概念的な言葉を覚えるようになる
この説明がなかなか難しい
「事実と意見を区別する」という文字の書き取りが
帰ってしまった男の子の宿題にあった
「この意味わかる?」
「わからない!」
さあ困った、、事実という意味をわかるように説明するには、、、
そこで、一学年上の男の子にポルトガル語でいいから事実の意味を教えてあげて!
と頼んでみた
ところがこのような概念的な言葉は説明が難しい、、
彼は、、うううん、、ええと、、
少し考えていたが諦めた
人が言葉を覚えていくのは、難しいものだ、、と改めて実感する
そのうち何となくわかるようになるのだろうか
若干の不安を覚えながら、そんな風に思ってみる
しかし、なぜ女の子は少女なのに、男は少年なのだろう
2022年04月23日
ポール・マッカートニーの「RAM」と、その完全カバーアルバム
手抜きしてあちらからのコピペ
少しお気楽な話
やっとかめに(久しぶりに)ポール・マッカートニーのアルバム
「RAM」の完全カバー版「PURE McCARTNEY」を聴いた

デンマークのビートルズフリークのティム・クリステンセンが
ポールの「RAM」を曲順通り完全再現したアルバムだ
「RAM」は発売された当時、批評家からはあまり良い評価は受けていなかった
いわれ勝ちな軽薄とか内容がないとか、、、そんな空気だったと記憶している
だが、自分はそうは思わなかった
音楽的要素がいっぱい詰まっていて圧倒された

とても短いウクレレの伴奏の「ラム・オン」は、「ジャンク」の寂しさを思い起こさせるし
冒頭の「トゥ・メニー・ピープル」のギターのフレーズは印象的
次の「三本足」は途中からリズムが変わってとてもおもしろいし
「ディアボーイ」は主旋律とコーラスの対旋律の掛け合いがとても美しい
「アンクル・アルバート ~ ハルセイ提督」は大声で歌うと気持ちよさそうな
(hands across the water〜)というところは
アビーロードの「キャリー・ザット・ウェイト」を連想させる
しゃがれた声で歌う「モンクベリー・ムーン・デライト」は最後の繰り返しの部分は
ヘイ・ジュードの長いエンディングを連想するし、
そこで行われるヴォーカルのアドリブが、それを聴くだけで価値があるような曲だ
「ロング・ヘアード・レディ」はリンダのコーラスが素人っぽくて、
それは妙に良い味付けになっている
そしてこの曲も対旋律との掛け合いが美しい
最後の「バック・シート・オブ・マイ・カー」も、ものすごい盛り上がり
最後の最後で楽器の音がなくなってコーラスだけになる時の効果は
ベートーヴェンのミサ・ソレムニスのグローリアの最後の部分を思い出させる
つまりは傑作アルバムだと思っていたので、低評価は納得できないし悔しかった
ところが時が経った今は、(ジョンとの比較という)時代背景を除いた
客観的な評価がされるようになって、このアルバムの評価は高いものになっている
「だから、最初からそうだって」
これが自分のいつざわざる気持ちだ
そして自分の直感や好みは間違っていなかったと自慢したくなる気分だ
この完全カバー版のアルバムは、他人がどのように表現するか?
という視点で聴くと面白い
基本的にはオリジナルと同じだが、ところどころ少し違う
声が違うのは仕方ないが、一番物足りなく感じたのは
「モンクベリー・ムーン・デライト」ボーカルのアドリブがなかったとこ
やはりあれはポールしかできないのかもしれない
「RAM」はアビーロードほどの完成度はないが
それでもその雰囲気を継承していると思う(すごく音楽的なところが)
でもそう感じるのは自分だけかな
ところで短いけど名曲と思う「ラム・オン」はこんな曲
少しお気楽な話
やっとかめに(久しぶりに)ポール・マッカートニーのアルバム
「RAM」の完全カバー版「PURE McCARTNEY」を聴いた

デンマークのビートルズフリークのティム・クリステンセンが
ポールの「RAM」を曲順通り完全再現したアルバムだ
「RAM」は発売された当時、批評家からはあまり良い評価は受けていなかった
いわれ勝ちな軽薄とか内容がないとか、、、そんな空気だったと記憶している
だが、自分はそうは思わなかった
音楽的要素がいっぱい詰まっていて圧倒された

とても短いウクレレの伴奏の「ラム・オン」は、「ジャンク」の寂しさを思い起こさせるし
冒頭の「トゥ・メニー・ピープル」のギターのフレーズは印象的
次の「三本足」は途中からリズムが変わってとてもおもしろいし
「ディアボーイ」は主旋律とコーラスの対旋律の掛け合いがとても美しい
「アンクル・アルバート ~ ハルセイ提督」は大声で歌うと気持ちよさそうな
(hands across the water〜)というところは
アビーロードの「キャリー・ザット・ウェイト」を連想させる
しゃがれた声で歌う「モンクベリー・ムーン・デライト」は最後の繰り返しの部分は
ヘイ・ジュードの長いエンディングを連想するし、
そこで行われるヴォーカルのアドリブが、それを聴くだけで価値があるような曲だ
「ロング・ヘアード・レディ」はリンダのコーラスが素人っぽくて、
それは妙に良い味付けになっている
そしてこの曲も対旋律との掛け合いが美しい
最後の「バック・シート・オブ・マイ・カー」も、ものすごい盛り上がり
最後の最後で楽器の音がなくなってコーラスだけになる時の効果は
ベートーヴェンのミサ・ソレムニスのグローリアの最後の部分を思い出させる
つまりは傑作アルバムだと思っていたので、低評価は納得できないし悔しかった
ところが時が経った今は、(ジョンとの比較という)時代背景を除いた
客観的な評価がされるようになって、このアルバムの評価は高いものになっている
「だから、最初からそうだって」
これが自分のいつざわざる気持ちだ
そして自分の直感や好みは間違っていなかったと自慢したくなる気分だ
この完全カバー版のアルバムは、他人がどのように表現するか?
という視点で聴くと面白い
基本的にはオリジナルと同じだが、ところどころ少し違う
声が違うのは仕方ないが、一番物足りなく感じたのは
「モンクベリー・ムーン・デライト」ボーカルのアドリブがなかったとこ
やはりあれはポールしかできないのかもしれない
「RAM」はアビーロードほどの完成度はないが
それでもその雰囲気を継承していると思う(すごく音楽的なところが)
でもそう感じるのは自分だけかな
ところで短いけど名曲と思う「ラム・オン」はこんな曲
2022年04月20日
マスク
すれ違う車の人物がマスクをしているか気になる時がある
こちらは、したりしなかったり
一人で乗る時は、する必要があるのかなどと思っているが
一人でもちゃんとマスクしている人は少なくない
だが、ドライバーがマスクをするのが少なくなった時期があった
それは暑い夏の時期
確かに暑くなると(最近は暑い)つけているのが鬱陶しくなるので
着用したくない気持ちはわかる
マスクについて日本人は、どちらかと言えばさほど抵抗感もなく着用している
マスクをするしないは自由だ!などと大げさなことを言わなくても
自分も罹りたくないし、自分から移すのも嫌だし
そのためには、ま、良いか!くらいの感覚で着用している
ところが欧米等の国では、まるで目の敵のようにマスクを嫌う様子が見られる
ある時、その理由を紹介したテレビ番組をみて妙に納得した
それは日本人は人の表情を目で読み取るが、欧米人は口で読み取ることが多く
口元が見えないことに不安を感じるからというのだ
顔文字というものが日本にも欧米にもあるが
日本のそれはいろんな感情を(かわいらしく)目で表現していることが多い
ところが欧米人はそれを口の形とか、それに関することで表現しているとのこと
確かにテレビで紹介された欧米の顔文字は口に関するものが多かった
マスクの着用なんて難しく考えないで、皆が良いようにすればいいじゃん!
と思えるが、こうした文化的な背景があるとしたら
これを解消するのは想像以上に難しいのかもしれないと思ったりする
こうした文化的な違いは行動の差につながる
ドイツでは、ウアラウプと言われる日本では信じられないほどの夏の長い休暇を
殆どの企業が許可している
「なぜ、そんなに長い休暇を許しているのか?」
と、あるドイツ人に聞いたところ
「そうしないと、働く人が来てくれないから!」
とあっさりと答えが返ってきた
ドイツでは残業についても日本人の感覚とは随分違う
そしてそれは世間に広まった習慣のようになっている
つまりは常識が違う、、ということだ
でも、正直なところ、マスクくらい妥協して受け入れたもいいのに、、
とは思ってしまう(特にごねる日本人に対しては)
こちらは、したりしなかったり
一人で乗る時は、する必要があるのかなどと思っているが
一人でもちゃんとマスクしている人は少なくない
だが、ドライバーがマスクをするのが少なくなった時期があった
それは暑い夏の時期
確かに暑くなると(最近は暑い)つけているのが鬱陶しくなるので
着用したくない気持ちはわかる
マスクについて日本人は、どちらかと言えばさほど抵抗感もなく着用している
マスクをするしないは自由だ!などと大げさなことを言わなくても
自分も罹りたくないし、自分から移すのも嫌だし
そのためには、ま、良いか!くらいの感覚で着用している
ところが欧米等の国では、まるで目の敵のようにマスクを嫌う様子が見られる
ある時、その理由を紹介したテレビ番組をみて妙に納得した
それは日本人は人の表情を目で読み取るが、欧米人は口で読み取ることが多く
口元が見えないことに不安を感じるからというのだ
顔文字というものが日本にも欧米にもあるが
日本のそれはいろんな感情を(かわいらしく)目で表現していることが多い
ところが欧米人はそれを口の形とか、それに関することで表現しているとのこと
確かにテレビで紹介された欧米の顔文字は口に関するものが多かった
マスクの着用なんて難しく考えないで、皆が良いようにすればいいじゃん!
と思えるが、こうした文化的な背景があるとしたら
これを解消するのは想像以上に難しいのかもしれないと思ったりする
こうした文化的な違いは行動の差につながる
ドイツでは、ウアラウプと言われる日本では信じられないほどの夏の長い休暇を
殆どの企業が許可している
「なぜ、そんなに長い休暇を許しているのか?」
と、あるドイツ人に聞いたところ
「そうしないと、働く人が来てくれないから!」
とあっさりと答えが返ってきた
ドイツでは残業についても日本人の感覚とは随分違う
そしてそれは世間に広まった習慣のようになっている
つまりは常識が違う、、ということだ
でも、正直なところ、マスクくらい妥協して受け入れたもいいのに、、
とは思ってしまう(特にごねる日本人に対しては)
2022年04月17日
イースター
今日、4月17日は2022年のイースターだそうだ
キリスト教徒ではないので、その意味がよくわからないが
かつてイースターエッグがホテルの部屋で待ってくれていたことがあった

意味はわからないが、イースターに関連する音楽には関心があった
バッハの「マタイ受難曲」、ワーグナーの「パルジファル」は
この日に演奏されることが多いらしい
そう気楽にやたらと聴く音楽ではないが、これらの曲は好きな方だ
昔「マタイ受難曲」をレコードを裏がえしながら聞いたときは
あの場面では喉がカラカラになって、時を忘れるような瞬間があった
「パルジファル」はその響きが、、嘘っぽいとわかっていても
騙されてしまうそうな魅力に溢れていた
今はどうしてもあの戦争のせいで気分が落ち込んで
気楽に音楽を楽しんでいられない
(楽しんで良いのかとさえ思えて)
かつてクリスマス停戦があったように
イースター停戦というのもないものだろうか!
と切に思う
キリスト教徒ではないので、その意味がよくわからないが
かつてイースターエッグがホテルの部屋で待ってくれていたことがあった
意味はわからないが、イースターに関連する音楽には関心があった
バッハの「マタイ受難曲」、ワーグナーの「パルジファル」は
この日に演奏されることが多いらしい
そう気楽にやたらと聴く音楽ではないが、これらの曲は好きな方だ
昔「マタイ受難曲」をレコードを裏がえしながら聞いたときは
あの場面では喉がカラカラになって、時を忘れるような瞬間があった
「パルジファル」はその響きが、、嘘っぽいとわかっていても
騙されてしまうそうな魅力に溢れていた
今はどうしてもあの戦争のせいで気分が落ち込んで
気楽に音楽を楽しんでいられない
(楽しんで良いのかとさえ思えて)
かつてクリスマス停戦があったように
イースター停戦というのもないものだろうか!
と切に思う
2022年04月08日
震源地は近くだった
昨日、4月7日 午前9時半頃、新城市で震度4の地震があった
外出の準備をしていた時で、上着を出そうとしていたちょうどその時に
ガタガタと音がしだした
車が通過する音どころではない、細かく揺れている感じで地震だと気がついた
こういう時の時間は長く感じるもので、すぐに収まらないことに
一瞬どうなるのだろうと不安を覚えた
「何?何?」
同居人は事情が把握できていない
ただ、すこし慌てている感じ
「大きかったね!」
やっと音も揺れも収まって話をする余裕ができた
タンスの上においてある額が落ちていた
下はそれ以上の被害はなかった
2階を見に行くと幸い何事もなかった
テレビをつけた
少しすると画面に地震の情報が流れ出した
震源地は愛知県東部の文字がある
地震は勝手に遠いところで起きるものと思いこんでいた
愛知県東部とはどこだ?
震源地の正確な位置を知ったのは今朝のことだ(随分のんびりしてるが)
震源地は、緯度 北緯34.9度 経度 東経137.5度
新城文化会館の手前の「はなのき広場」だ
こんなに近いところなのか
家から1キロくらいしか離れていない
それでいつもより不安を覚えたのか、、と自分を納得させる
埼玉の妹は頻繁に地震を経験しているのであまり驚かなくなっているようだが
めったに地震の経験がないこちらは、普段より少し大きいとビクビクしてしまう
それにしても震源地がこれほど近いとは、、
地震雷火事親父
やはり地震が一番怖い
最近は良いことがない
昨日は新型コロナの陽性者が市内で25名も確認された(防災無線によると)
まるで世界の不安定な状況が自然にまで影響を与えているかのようだ
どの世界にも平穏の日々が訪れますように!
外出の準備をしていた時で、上着を出そうとしていたちょうどその時に
ガタガタと音がしだした
車が通過する音どころではない、細かく揺れている感じで地震だと気がついた
こういう時の時間は長く感じるもので、すぐに収まらないことに
一瞬どうなるのだろうと不安を覚えた
「何?何?」
同居人は事情が把握できていない
ただ、すこし慌てている感じ
「大きかったね!」
やっと音も揺れも収まって話をする余裕ができた
タンスの上においてある額が落ちていた
下はそれ以上の被害はなかった
2階を見に行くと幸い何事もなかった
テレビをつけた
少しすると画面に地震の情報が流れ出した
震源地は愛知県東部の文字がある
地震は勝手に遠いところで起きるものと思いこんでいた
愛知県東部とはどこだ?
震源地の正確な位置を知ったのは今朝のことだ(随分のんびりしてるが)
震源地は、緯度 北緯34.9度 経度 東経137.5度
新城文化会館の手前の「はなのき広場」だ
こんなに近いところなのか
家から1キロくらいしか離れていない
それでいつもより不安を覚えたのか、、と自分を納得させる
埼玉の妹は頻繁に地震を経験しているのであまり驚かなくなっているようだが
めったに地震の経験がないこちらは、普段より少し大きいとビクビクしてしまう
それにしても震源地がこれほど近いとは、、
地震雷火事親父
やはり地震が一番怖い
最近は良いことがない
昨日は新型コロナの陽性者が市内で25名も確認された(防災無線によると)
まるで世界の不安定な状況が自然にまで影響を与えているかのようだ
どの世界にも平穏の日々が訪れますように!
2022年04月07日
新学期スタート
月木のあいさつ推進運動が再開した
近所の小学生が集まって、あいさつをして校門まで歩くお楽しみの時間だ
いつも集合時間が守られていないので、ギリギリの時間に家を出ると
なんと子どもたちは列を作って歩いてる
慌てて列に参加する
いつものようにわがままになってきた一番小さな女の子が
「これ持って!」と当然の顔をして手渡す
「僕のも持って」とまだお喋りに恥ずかしさを感じない男の子が
同じように渡す
今までと違うのは一緒に行く子の数が増えたことだ
家の周りは新築住宅が増えて、4月前に引越してきた人たちがいて
そこには子どもがいて、一緒に行くことになっていた
その他にも近くの子が集まって、なんだか賑やかくなってきた
「ねえ、しりとりやろう!」
以前、「それ前にも言ったよ!」
とダメ出しをした女の子が誘う
そこで4人でしりとりをしながら校門まで歩いていく
天気はいいし、子どもたちは屈託ないし、なんだかホッとした幸せな気分になれる
校門まで来ると、人事異動でいるはずのない教頭先生がいた
近くによると少し違うことに気づいた(マスクをしてるとわかりにくい)
「〇〇さん、おはようございます」
えっ、なんで自分の名を知ってるのかな?
「〇〇です」
それを聞いて何回かあったことのある人だと思いだした
前回の教頭先生も優しい良い人だったが、この方も以前お会いしたときも
共感力のある直感的に信じられる雰囲気の方だった
ということで、いろいろ変化のみえる新学期がスタートだ
近所の小学生が集まって、あいさつをして校門まで歩くお楽しみの時間だ
いつも集合時間が守られていないので、ギリギリの時間に家を出ると
なんと子どもたちは列を作って歩いてる
慌てて列に参加する
いつものようにわがままになってきた一番小さな女の子が
「これ持って!」と当然の顔をして手渡す
「僕のも持って」とまだお喋りに恥ずかしさを感じない男の子が
同じように渡す
今までと違うのは一緒に行く子の数が増えたことだ
家の周りは新築住宅が増えて、4月前に引越してきた人たちがいて
そこには子どもがいて、一緒に行くことになっていた
その他にも近くの子が集まって、なんだか賑やかくなってきた
「ねえ、しりとりやろう!」
以前、「それ前にも言ったよ!」
とダメ出しをした女の子が誘う
そこで4人でしりとりをしながら校門まで歩いていく
天気はいいし、子どもたちは屈託ないし、なんだかホッとした幸せな気分になれる
校門まで来ると、人事異動でいるはずのない教頭先生がいた
近くによると少し違うことに気づいた(マスクをしてるとわかりにくい)
「〇〇さん、おはようございます」
えっ、なんで自分の名を知ってるのかな?
「〇〇です」
それを聞いて何回かあったことのある人だと思いだした
前回の教頭先生も優しい良い人だったが、この方も以前お会いしたときも
共感力のある直感的に信じられる雰囲気の方だった
ということで、いろいろ変化のみえる新学期がスタートだ
2022年04月02日
ワールドカップ、対戦相手が決まった
サッカーワールドカップの対戦相手が決まった
日本はE組で、ドイツ・スペイン、そしてニュージーランドとコスタリカの勝者が相手だ
なんてこった!
えらく困難な相手に当たったものだ
リネカーは「サッカーは22人がボールを追いかけて、最後にドイツが勝つゲームだ」
とこぼしたくらい、どのチームもあたりたくないのがドイツだ
ドイツは一対一で負けない、相手より多く点を取る、試合はホイッスルが鳴るまでが勝負
を徹底して行える厄介なチームだ
それにドイツはやられた相手に倍返しのようにリベンジするチームで
日韓ワールドカップの時、決勝で破れたブラジルにはブラジル大会で大量の得点差で
ブラジルを叩きのめした
メキシコ大会の勝者アルゼンチンに対してもやはりリベンジを果たしているし
因縁のイングランドにもやはりリベンジしている
とにかく勝ち切るのが難しいチームだ
勝っていてもヒタヒタと押し寄せる迫力は不気味という他はない
スペインは強いときは手の打ちようがないほどなんともならないが
ラテン系の特徴か時々ポカをする
それを期待すればドイツよりも戦いやすいかもしれない
スペインと戦うのは第3戦で、その時までにはスペインの調子はわかるだろうが
この組の日本の希望的な予想は、1勝1敗1引き分けで
勝ちはプレイオフのチーム、引き分けはスペイン、勝てないのがドイツ
これが妥当なところかもしれない
ワールドカップは思い切り現実を目の当たりにさせられる
点を取れないと勝てないという事実(ストライカーがいない)
シュートは落ち着いて行うという癖
パスの精度の問題、勝負を諦めないという戦う気持ち
これらを再確認しなければならないのは少しばかり残念だが、
それでも肌で感じる経験はその現場を経験したことの無いチームよりは
一ランク上に行ける可能性を持てる
気になったのがお隣の韓国で
H国はポルトガル、ガーナ、ウルグアイが対戦相手だ
ポルトガルはクリスティアーノ・ロナウドがいるし、
ウルグアイも南米らしくしぶといしスアレスがいる
結局のところ、どの組も楽に勝ちあがるのは難しそうだということで
勢いとか運に恵まれることが必要なんだろう
それにしても日本の問題はやはり得点能力だろう
ずっと抱えている問題で、どうすれば解決できるか
これは協会が必死になって考え、方針を決め、訓練していかねば解決できるとは思えない
日本にストライカーが出ないのは社会の構造やらメンタリティのような気がする
そもそも全世界的にストライカーは変人が多い傾向にある
変人をその才能故に許せるか?
と考えると日本はどうしても型に入れたがってしまう
ヨーロッパで戦っている日本人選手はステップアップするには
個人の能力アップしかないと実感している
その思いを日本にいるサポーターが全員共有化できればいいのだが
残念なことにマスコミはわかりやすいコピーで選手を甘やかしてしまう
となると、強くなるにはサポーターの意識
マスコミの伝え方も考える必要があるということ
それにしても強い相手と真剣に戦えるのはとてもいい機会だ
戦うのはスポーツの場だけにしてほしいと切に思う
日本はE組で、ドイツ・スペイン、そしてニュージーランドとコスタリカの勝者が相手だ
なんてこった!
えらく困難な相手に当たったものだ
リネカーは「サッカーは22人がボールを追いかけて、最後にドイツが勝つゲームだ」
とこぼしたくらい、どのチームもあたりたくないのがドイツだ
ドイツは一対一で負けない、相手より多く点を取る、試合はホイッスルが鳴るまでが勝負
を徹底して行える厄介なチームだ
それにドイツはやられた相手に倍返しのようにリベンジするチームで
日韓ワールドカップの時、決勝で破れたブラジルにはブラジル大会で大量の得点差で
ブラジルを叩きのめした
メキシコ大会の勝者アルゼンチンに対してもやはりリベンジを果たしているし
因縁のイングランドにもやはりリベンジしている
とにかく勝ち切るのが難しいチームだ
勝っていてもヒタヒタと押し寄せる迫力は不気味という他はない
スペインは強いときは手の打ちようがないほどなんともならないが
ラテン系の特徴か時々ポカをする
それを期待すればドイツよりも戦いやすいかもしれない
スペインと戦うのは第3戦で、その時までにはスペインの調子はわかるだろうが
この組の日本の希望的な予想は、1勝1敗1引き分けで
勝ちはプレイオフのチーム、引き分けはスペイン、勝てないのがドイツ
これが妥当なところかもしれない
ワールドカップは思い切り現実を目の当たりにさせられる
点を取れないと勝てないという事実(ストライカーがいない)
シュートは落ち着いて行うという癖
パスの精度の問題、勝負を諦めないという戦う気持ち
これらを再確認しなければならないのは少しばかり残念だが、
それでも肌で感じる経験はその現場を経験したことの無いチームよりは
一ランク上に行ける可能性を持てる
気になったのがお隣の韓国で
H国はポルトガル、ガーナ、ウルグアイが対戦相手だ
ポルトガルはクリスティアーノ・ロナウドがいるし、
ウルグアイも南米らしくしぶといしスアレスがいる
結局のところ、どの組も楽に勝ちあがるのは難しそうだということで
勢いとか運に恵まれることが必要なんだろう
それにしても日本の問題はやはり得点能力だろう
ずっと抱えている問題で、どうすれば解決できるか
これは協会が必死になって考え、方針を決め、訓練していかねば解決できるとは思えない
日本にストライカーが出ないのは社会の構造やらメンタリティのような気がする
そもそも全世界的にストライカーは変人が多い傾向にある
変人をその才能故に許せるか?
と考えると日本はどうしても型に入れたがってしまう
ヨーロッパで戦っている日本人選手はステップアップするには
個人の能力アップしかないと実感している
その思いを日本にいるサポーターが全員共有化できればいいのだが
残念なことにマスコミはわかりやすいコピーで選手を甘やかしてしまう
となると、強くなるにはサポーターの意識
マスコミの伝え方も考える必要があるということ
それにしても強い相手と真剣に戦えるのはとてもいい機会だ
戦うのはスポーツの場だけにしてほしいと切に思う
2022年03月25日
見ている方が疲れる
あちらからのコピペ
昨日のサッカーワールドカップアジア予選 対オーストラリア戦
自分はDAZNに入っているので生中継を見られたが
結果は日本2−0オーストラリアで、予選突破できることになった
始まる前の状況は、サウジアラビアが1位(勝ち点19)
2位日本(勝ち点18)、3位オーストラリア(勝ち点15)
2位までが予選突破で3位になると別のグループの3位とプレーオフ行って
そこで勝ち残ると大陸間プレーオフで更に闘うことになる
残り1試合を考えると勝てば、もう勝ち点の逆転はできないから
無条件に予選突破となるが、負けたりすると勝ち点は18で一緒になる
同じ勝ち点なら得失点差の大きいほうが上に行くルールで
この試合前の時点ではオーストラリアは9点、日本は6点
最後の対戦相手は日本はベトナム、オーストラリアはサウジアラビア
日本はホームで勝てると思うが、オーストラアも既に予選突破して
緊張感にかけるサウジアラビアには気合で勝つ可能性がある
つまり、負けるとかなり危なっかしい状況に陥る
ただ最終戦のそれぞれの対戦相手を考えると、最悪でも引き分けが要求された
「見てるほうが疲れる!」
と本音を漏らしたのが解説者の岡田さんと内田さん
「見てるより、やってるほうが楽だ」(内田さん)
選手はもう開き直るしかないから、その場で全力を尽くす
ところが見てる方は何もできないから、ハラハラしながら見るしかない
実際、前半のチャンスを逃したあと、相手にもシュートチャンスがあって
まるでどちらに転ぼうかを決めかねているような試合展開は
試合レベルという点ではなく、勝負のアヤという点で不安は消えることがない
チャンスを逃し続けると勝利の女神は去っていく
という経験を何度か経験すると不安は募る
解説者が言ってたように前半は殴り合いのよう試合だった
この日不安はDFに富安がいなかったことだ
最近の富安は本当に頼りになる存在で、彼がいれば容易に負けることはないだろう
と思わせるものだが、今回はいない
その代わり板倉が代わりに入ったが、彼は前回のサウジ戦でそこそこできていたので
不安解消までは行かないが、仕方ないと思うしかない
もう一つ痛かったのは酒井宏樹もいなかったことだ
実はFWの大迫もいなかったが、個人的には大迫はピークを過ぎたか
コンディションが悪いかわからないが、あまり期待できないでいたので
そこは今、勢いのある選手で良い思っていた
(前回のオーストラリア戦のラッキーボーイ浅野が選ばれた)
試合は最悪でも引き分けかな、、ちょんぼとかセットプレーでやられなければいい
と思っていた残り5分くらいで、守田、山根がいい崩しをして折り返しを三笘が決めた
残り時間を思うとオーストラリアは精神的にがっくりきただろう
三笘の2点目は時間稼ぎをすると思ったが勝負に出てトドメとなった
ホント疲れた、、というのが第一印象
まずは良かったよかった
これで最終戦は少しいろんなチャレンジができる
前目の選手に若い久保とか上田とか旗手とかにチャンスを与えて
全体的な底上げをして欲しい
ホント、まずは良かった(疲れたけど)
ところで結果を出した三笘は良かったが、
個人的には守田がいい選手だなと実感した
昨日のサッカーワールドカップアジア予選 対オーストラリア戦
自分はDAZNに入っているので生中継を見られたが
結果は日本2−0オーストラリアで、予選突破できることになった
始まる前の状況は、サウジアラビアが1位(勝ち点19)
2位日本(勝ち点18)、3位オーストラリア(勝ち点15)
2位までが予選突破で3位になると別のグループの3位とプレーオフ行って
そこで勝ち残ると大陸間プレーオフで更に闘うことになる
残り1試合を考えると勝てば、もう勝ち点の逆転はできないから
無条件に予選突破となるが、負けたりすると勝ち点は18で一緒になる
同じ勝ち点なら得失点差の大きいほうが上に行くルールで
この試合前の時点ではオーストラリアは9点、日本は6点
最後の対戦相手は日本はベトナム、オーストラリアはサウジアラビア
日本はホームで勝てると思うが、オーストラアも既に予選突破して
緊張感にかけるサウジアラビアには気合で勝つ可能性がある
つまり、負けるとかなり危なっかしい状況に陥る
ただ最終戦のそれぞれの対戦相手を考えると、最悪でも引き分けが要求された
「見てるほうが疲れる!」
と本音を漏らしたのが解説者の岡田さんと内田さん
「見てるより、やってるほうが楽だ」(内田さん)
選手はもう開き直るしかないから、その場で全力を尽くす
ところが見てる方は何もできないから、ハラハラしながら見るしかない
実際、前半のチャンスを逃したあと、相手にもシュートチャンスがあって
まるでどちらに転ぼうかを決めかねているような試合展開は
試合レベルという点ではなく、勝負のアヤという点で不安は消えることがない
チャンスを逃し続けると勝利の女神は去っていく
という経験を何度か経験すると不安は募る
解説者が言ってたように前半は殴り合いのよう試合だった
この日不安はDFに富安がいなかったことだ
最近の富安は本当に頼りになる存在で、彼がいれば容易に負けることはないだろう
と思わせるものだが、今回はいない
その代わり板倉が代わりに入ったが、彼は前回のサウジ戦でそこそこできていたので
不安解消までは行かないが、仕方ないと思うしかない
もう一つ痛かったのは酒井宏樹もいなかったことだ
実はFWの大迫もいなかったが、個人的には大迫はピークを過ぎたか
コンディションが悪いかわからないが、あまり期待できないでいたので
そこは今、勢いのある選手で良い思っていた
(前回のオーストラリア戦のラッキーボーイ浅野が選ばれた)
試合は最悪でも引き分けかな、、ちょんぼとかセットプレーでやられなければいい
と思っていた残り5分くらいで、守田、山根がいい崩しをして折り返しを三笘が決めた
残り時間を思うとオーストラリアは精神的にがっくりきただろう
三笘の2点目は時間稼ぎをすると思ったが勝負に出てトドメとなった
ホント疲れた、、というのが第一印象
まずは良かったよかった
これで最終戦は少しいろんなチャレンジができる
前目の選手に若い久保とか上田とか旗手とかにチャンスを与えて
全体的な底上げをして欲しい
ホント、まずは良かった(疲れたけど)
ところで結果を出した三笘は良かったが、
個人的には守田がいい選手だなと実感した
2022年03月22日
道の西と東の桜
お彼岸の昨日、桜淵に向かってウォーキングをした
東新町駅から桜淵に向かう新桜通りは濃いピンクの桜が咲き始めている

毎年驚くのが道の西側と東側の桜の咲き方の違いで
上の写真は西側で、東側はこんなだ

道路の西と東では日照時間に差があるので、こういうことになるのだろう
桜淵の桜はまだまだの感じだった
帰り道、もう一度ちゃんとした写真を撮ろうとスマホを取り出した

花もいいけど、この桜の樹皮もなんか好きだな
東新町駅から桜淵に向かう新桜通りは濃いピンクの桜が咲き始めている

毎年驚くのが道の西側と東側の桜の咲き方の違いで
上の写真は西側で、東側はこんなだ

道路の西と東では日照時間に差があるので、こういうことになるのだろう
桜淵の桜はまだまだの感じだった
帰り道、もう一度ちゃんとした写真を撮ろうとスマホを取り出した

花もいいけど、この桜の樹皮もなんか好きだな
2022年03月17日
わがまま
「〇〇君、靴ちゃんとはいて!」
「バレたか」
彼はいつも靴の踵の部分を踏んづけて歩く
だから、いつも注意を促す
今朝は忘れていたので、道の途中ででこんな会話になった
「靴が可愛そうじゃん、痛い痛いって言ってるよ」
「靴って喋らないよ」
話を聞いていた女の子が口をはさむ
「だけど、アンパンマンだって話すよ」
「アンパンマンは顔があるよ、だけど靴には顔がないよ」
「アンパンマンはねえ、、、、」
そんな他愛もない話が続く
5月には学校に行くのが嫌になることがあった女の子も
一年前は素直に大きな声で挨拶できていた子も
最近は少しわがままになりつつある
(列からだいぶ遅れていても平気だったりして)
良く言えば知恵がついた感じ(悪知恵)
あるいは個性が出てきたというべきか
仕方ない、これも成長の一過程なのかもしれない
月木の小学校の校門まで子どもたちとのウォーキング
この時間はボランティア活動というより自分が楽しむためにできている
直ぐに忘れてしまいそうな他愛もない会話
そんな会話が実はとても大事なのだと感じるこの頃
(ウクライナに早く平和が訪れますように!)
「バレたか」
彼はいつも靴の踵の部分を踏んづけて歩く
だから、いつも注意を促す
今朝は忘れていたので、道の途中ででこんな会話になった
「靴が可愛そうじゃん、痛い痛いって言ってるよ」
「靴って喋らないよ」
話を聞いていた女の子が口をはさむ
「だけど、アンパンマンだって話すよ」
「アンパンマンは顔があるよ、だけど靴には顔がないよ」
「アンパンマンはねえ、、、、」
そんな他愛もない話が続く
5月には学校に行くのが嫌になることがあった女の子も
一年前は素直に大きな声で挨拶できていた子も
最近は少しわがままになりつつある
(列からだいぶ遅れていても平気だったりして)
良く言えば知恵がついた感じ(悪知恵)
あるいは個性が出てきたというべきか
仕方ない、これも成長の一過程なのかもしれない
月木の小学校の校門まで子どもたちとのウォーキング
この時間はボランティア活動というより自分が楽しむためにできている
直ぐに忘れてしまいそうな他愛もない会話
そんな会話が実はとても大事なのだと感じるこの頃
(ウクライナに早く平和が訪れますように!)
2022年03月12日
映画の中のセリフ
1.「I decide who I am」
2.「何よりも自分を信じよ、そして(自分を)疑え」
3.「お父さんが負ける度に、社会にでたら正直者がバカを見るという現実に
立ち向かわないかんのかなとずっと思っていたのですけど、
正直者の気持ちはいつかみんなに届くんじゃないかっていうのを今日初めて感じました 」
この3つが今も心に残っている映画に出てきたセリフ(言葉)
1は「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディ・マーキュリーが発した言葉
翻訳文は忘れたが、英語のこのセリフは深い、、、と勝手に思ったりする
2は「新聞記者」(松坂桃李の出演してる方)で使われているが、主人公の父が娘に残した言葉
これは常々そう有りたいと思っているので納得
3は「香川一区」(ドキュメンタリー映画)で、
いつも選挙で負けてばかりいるクソ真面目なお父さんが
やっとのことで勝てた時に、娘としてお礼の挨拶で出た言葉
「いつか届くんじゃないか!という実感はすごく貴重だと思う
あとセリフではないが印象に残っているタイトルが
「Er ist wieder da」(ドイツ語)
日本語では「帰ってきたヒトラー」だが「帰ってきた」
と訳すより「またそこにいる」と直訳するほうが怖い感じ
読書もそうだが、映画も変なところばかり覚えているようだ
2.「何よりも自分を信じよ、そして(自分を)疑え」
3.「お父さんが負ける度に、社会にでたら正直者がバカを見るという現実に
立ち向かわないかんのかなとずっと思っていたのですけど、
正直者の気持ちはいつかみんなに届くんじゃないかっていうのを今日初めて感じました 」
この3つが今も心に残っている映画に出てきたセリフ(言葉)
1は「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディ・マーキュリーが発した言葉
翻訳文は忘れたが、英語のこのセリフは深い、、、と勝手に思ったりする
2は「新聞記者」(松坂桃李の出演してる方)で使われているが、主人公の父が娘に残した言葉
これは常々そう有りたいと思っているので納得
3は「香川一区」(ドキュメンタリー映画)で、
いつも選挙で負けてばかりいるクソ真面目なお父さんが
やっとのことで勝てた時に、娘としてお礼の挨拶で出た言葉
「いつか届くんじゃないか!という実感はすごく貴重だと思う
あとセリフではないが印象に残っているタイトルが
「Er ist wieder da」(ドイツ語)
日本語では「帰ってきたヒトラー」だが「帰ってきた」
と訳すより「またそこにいる」と直訳するほうが怖い感じ
読書もそうだが、映画も変なところばかり覚えているようだ
2022年03月11日
少数者の支配と民主主義
すっと頭の中から離れない問題で、
どこかで吐露しないと落ち込んでしまいそうになるので
小難しい話だが、あちらの方からのコピペを、、
一人の狂ったリーダーのために世界が混乱している
毎日ニュースを見るだけで落ち込んでしまう
民衆の声を反映する民主主義といいながら
結果的には少数者の支配による政治がどの国も行われているようだ
(プーチンも選挙で選ばれた)
民主主義は民衆の声を反映させないシステムという考え方があるようだ
そもそも民衆はポピュリズムに影響されやすく
一時的な、そして感情的な狭い視野で判断し勝ちで
決して正しい判断をなし得ない存在と見ていて
それゆえに、民衆の声をダイレクトに反映するのは危険だとし
どこかでフィルター(ブレーキ)を掛けることが必要とされる
そのフィルターをかけるのが選挙による代表性というシステムで
時間とか専門知識とか広い視野を必要とする政治的な判断は
選ばれた政治家にフィルター機能を果たしてもらい
そうすることで効率的だったり適切な方向に向かうと考えられている
民衆の声を反映しないというのは、選挙において、民衆の声Aと民衆の声Bが争うことによって
負けた方の声は反映されなくなり、それが結果的に一部の民衆の声は反映しても
(選挙の上の)少数の意見は反映されないことになるという意味で
民主主義のあるべき姿、負けた方の意見も如何に活かしていくか!の理想はあるとしても
現実は多数決イコール民主主義の思い込みが世の中には多く
数で押し切られることが多い
すると当たり前の事実として選挙に勝つことが政治的な決断をすることになる
選挙に勝つには利益団体はその存在を守るために自分に有利な方にお金も人力も提供する
そしてそれが結果的に利益を共通とする少数者の支配につながる
面倒くさい話だが、現実の社会を見ればそれはこの国でもそうなっている
いったい選ばれた人が正しい判断をしうるとする根拠はなんだろう
それは多数の支持を得て選挙に勝ったという事実だけなのだろうか
どうも人様の作る考えやシステムはどこか不完全だ
想像した通りとか理想通りには進まない
それは利己的に行動する生き物として癖のよるもののように思えてしまう
理想を言えば選挙に勝った人は人格高潔、お金にもきれいで、広い視野を持ち
専門知識も備え、共感する能力に長けている人となればいいのだが
そういう人は中にはいるが、現実社会はどうなんだろう
だが現実は現実、こうしたことを踏まえて人はどうしていけばいいのだろか
必要なのは全人格的な教育なのだろうか?
でもこれは時間がかかりそうだし、これに反応しそうな人は少数者のような気がしないでもない
なんだかなぁ~
世の中は理性で徐々に発展していくと思っていたのが、全然そうではなくて
情けないくらいの状況になりうつつあって落ち込みそう
例のごとくまとまらない話
どこかで吐露しないと落ち込んでしまいそうになるので
小難しい話だが、あちらの方からのコピペを、、
一人の狂ったリーダーのために世界が混乱している
毎日ニュースを見るだけで落ち込んでしまう
民衆の声を反映する民主主義といいながら
結果的には少数者の支配による政治がどの国も行われているようだ
(プーチンも選挙で選ばれた)
民主主義は民衆の声を反映させないシステムという考え方があるようだ
そもそも民衆はポピュリズムに影響されやすく
一時的な、そして感情的な狭い視野で判断し勝ちで
決して正しい判断をなし得ない存在と見ていて
それゆえに、民衆の声をダイレクトに反映するのは危険だとし
どこかでフィルター(ブレーキ)を掛けることが必要とされる
そのフィルターをかけるのが選挙による代表性というシステムで
時間とか専門知識とか広い視野を必要とする政治的な判断は
選ばれた政治家にフィルター機能を果たしてもらい
そうすることで効率的だったり適切な方向に向かうと考えられている
民衆の声を反映しないというのは、選挙において、民衆の声Aと民衆の声Bが争うことによって
負けた方の声は反映されなくなり、それが結果的に一部の民衆の声は反映しても
(選挙の上の)少数の意見は反映されないことになるという意味で
民主主義のあるべき姿、負けた方の意見も如何に活かしていくか!の理想はあるとしても
現実は多数決イコール民主主義の思い込みが世の中には多く
数で押し切られることが多い
すると当たり前の事実として選挙に勝つことが政治的な決断をすることになる
選挙に勝つには利益団体はその存在を守るために自分に有利な方にお金も人力も提供する
そしてそれが結果的に利益を共通とする少数者の支配につながる
面倒くさい話だが、現実の社会を見ればそれはこの国でもそうなっている
いったい選ばれた人が正しい判断をしうるとする根拠はなんだろう
それは多数の支持を得て選挙に勝ったという事実だけなのだろうか
どうも人様の作る考えやシステムはどこか不完全だ
想像した通りとか理想通りには進まない
それは利己的に行動する生き物として癖のよるもののように思えてしまう
理想を言えば選挙に勝った人は人格高潔、お金にもきれいで、広い視野を持ち
専門知識も備え、共感する能力に長けている人となればいいのだが
そういう人は中にはいるが、現実社会はどうなんだろう
だが現実は現実、こうしたことを踏まえて人はどうしていけばいいのだろか
必要なのは全人格的な教育なのだろうか?
でもこれは時間がかかりそうだし、これに反応しそうな人は少数者のような気がしないでもない
なんだかなぁ~
世の中は理性で徐々に発展していくと思っていたのが、全然そうではなくて
情けないくらいの状況になりうつつあって落ち込みそう
例のごとくまとまらない話
2022年02月21日
怒られてしまった
「それ前に言ったじゃん!」
小さな子に怒られてしまった
恒例、月曜の朝の小学校までウォーキングでのこと
自分たちの列から少し遅れて歩くちびっこは
他のグループの女の子と一緒に歩くことにした
仲良く話しているので「同級生?」
と聞くと
「3年生、前に言ったじゃん」
と怒られてしまったという訳だ
「ごめん、ごめん」
とあやまった
「あと(校門まで)少しあるから、しりとりしようか!」
ということで短い間、3人ですることになった
よくありそうな忘れてしまいそうな話だが
とてもほっこりした気分になれた朝だった
小さな子に怒られてしまった
恒例、月曜の朝の小学校までウォーキングでのこと
自分たちの列から少し遅れて歩くちびっこは
他のグループの女の子と一緒に歩くことにした
仲良く話しているので「同級生?」
と聞くと
「3年生、前に言ったじゃん」
と怒られてしまったという訳だ
「ごめん、ごめん」
とあやまった
「あと(校門まで)少しあるから、しりとりしようか!」
ということで短い間、3人ですることになった
よくありそうな忘れてしまいそうな話だが
とてもほっこりした気分になれた朝だった
2022年02月08日
3回目ワクチン接種
「待ちわびる!」ってことはないが、3回目のワクチン摂取の用紙が届いた
今回もネットで予約
会場を選んで、空いている時間を選んで、終了
ワクチンの種類を見るとモデルナ製だった
混合接種のほうが効果はアップするとの報告もあるので
自分は気にはならない
むしろ新しいのはどんな感じか?
と好奇心が刺激される
それにしても連日、新城でも多くの陽性者が出ている
こんなだから泣く泣く無駄にしてしまった音楽のチケットが2回分ある
勿体ないが、言い訳を考えて自分自身に納得させている
外国にルーツをもつ子どもたちの勉強の手伝いも
こんな時期だからしばらく休止になっている
(彼らはちゃんとやってるかな?)
7時45分の防災無線の陽性者の放送が無くなりますように!
今回もネットで予約
会場を選んで、空いている時間を選んで、終了
ワクチンの種類を見るとモデルナ製だった
混合接種のほうが効果はアップするとの報告もあるので
自分は気にはならない
むしろ新しいのはどんな感じか?
と好奇心が刺激される
それにしても連日、新城でも多くの陽性者が出ている
こんなだから泣く泣く無駄にしてしまった音楽のチケットが2回分ある
勿体ないが、言い訳を考えて自分自身に納得させている
外国にルーツをもつ子どもたちの勉強の手伝いも
こんな時期だからしばらく休止になっている
(彼らはちゃんとやってるかな?)
7時45分の防災無線の陽性者の放送が無くなりますように!
2022年02月05日
予想外に良いNetflix(今のところ)
テレビ局はどうしてしまったんだろう?
と思えるくらい、つまらない番組が多い
今はオリンピックで一息つけてるかもしれないが
これだけテレビ局にオリンピック依存が高いと
NHKBS1の例の「オリンピック反対のデモは金銭をもらって、、、」
云々の捏造字幕はさもありなん、、と思えてしまう
これはBPOで審査されるだろうから結果待ちだが、酷いものだ
テレビがつまらないから一時的にNetflixに入ってみた
自分はドラマを見るタイプでじゃないが、面白いのがあった
でも評判の「愛の不時着」は多分、ずっと見ないだろう
プログラムの中に映画館で見たものがあった
三谷幸喜の「記憶にございません」と
ビートルズがいない世界を描いた「イエスタデイ」だ
「記憶にございません」は冒頭に誰かを想像させるような事があっても
これはフィクションですの但し書きがある
そう言われると、かえって想像したくなるのが人情、、
なるほど、このことか、、と自分は想像できた
「イエスタデイ」はビートルズを知ってる人にはかなり面白い
ところどころ出てくる言葉とか映像・音楽は「そう来るか!」
と楽しめる(64歳の話が突然出てきたるする)
ということで、今のところ予想外に楽しんでいるかもしれない
入った目的は実は米倉涼子主演の「新聞記者」を見るためだった
だがそれ以上に面白かったのがドキュメンタリーの
「なぜ君は総理大臣になれないのか」と
「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」
これらの感想はあちらで扱っている
最近は「10ミニッツTV」とかyoutubeとか「ポリタスTV」とかに
費やす時間がテレビよりも多くなっている
サッカーもDAZNで見ている
時代の変化とはいえ、つくづく大変な時代だと実感する
と思えるくらい、つまらない番組が多い
今はオリンピックで一息つけてるかもしれないが
これだけテレビ局にオリンピック依存が高いと
NHKBS1の例の「オリンピック反対のデモは金銭をもらって、、、」
云々の捏造字幕はさもありなん、、と思えてしまう
これはBPOで審査されるだろうから結果待ちだが、酷いものだ
テレビがつまらないから一時的にNetflixに入ってみた
自分はドラマを見るタイプでじゃないが、面白いのがあった
でも評判の「愛の不時着」は多分、ずっと見ないだろう
プログラムの中に映画館で見たものがあった
三谷幸喜の「記憶にございません」と
ビートルズがいない世界を描いた「イエスタデイ」だ
「記憶にございません」は冒頭に誰かを想像させるような事があっても
これはフィクションですの但し書きがある
そう言われると、かえって想像したくなるのが人情、、
なるほど、このことか、、と自分は想像できた
「イエスタデイ」はビートルズを知ってる人にはかなり面白い
ところどころ出てくる言葉とか映像・音楽は「そう来るか!」
と楽しめる(64歳の話が突然出てきたるする)
ということで、今のところ予想外に楽しんでいるかもしれない
入った目的は実は米倉涼子主演の「新聞記者」を見るためだった
だがそれ以上に面白かったのがドキュメンタリーの
「なぜ君は総理大臣になれないのか」と
「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」
これらの感想はあちらで扱っている
最近は「10ミニッツTV」とかyoutubeとか「ポリタスTV」とかに
費やす時間がテレビよりも多くなっている
サッカーもDAZNで見ている
時代の変化とはいえ、つくづく大変な時代だと実感する
2022年02月02日
「スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む」
先日紹介した「あなた自身の社会」スウェーデン中学の教科書に続いて
アマゾンから手に入れたのが

今度はスウェーデンの小学校の教科書だ
大枠は前の中学の教科書で知っていたので、あのときほど衝撃はない
でも考えさせられる
この本は小学校の教科書なのに政治のことが書かれている
スウェーデンでは若者の投票率が高い
それだけ政治に関心があるのか?といえば、
アンケートをとると無関心の度合いは日本の若者とそんなに変わらないらしい
ただ明らかに違うのは「私個人の力で政府の決定に影響を与えられない」の問に対する
「そう思わない」「どちらかと言えばそう思わない」
「どちらかと言えばそう思う」「そう思う」の回答だ
スウェーデンでは「そうは思わない」「どちらかと言えばそうは思わない」が多く
日本ではその反対だ
つまり、スウェーデン人は自分個人の力で政府の決定に何らかの影響を
与えることができると信じている
これはスウェーデンの若者が世間知らずと言うよりは、
教育の成果としていて時間をかけてこのような人を育てているということだ
前回の中学の教科書でも見られた「ちゃんとした大人を育てる」という方向性は
少しばかり羨ましく感じる
いろんなことを知るということは、まずは比較できる
その比較によって自分の立ち位置を確認できる
必ずしもスウェーデンのやり方がベストとは思わないが、それでも知っておいて損はないと思う
特に関係者は、、
アマゾンから手に入れたのが

今度はスウェーデンの小学校の教科書だ
大枠は前の中学の教科書で知っていたので、あのときほど衝撃はない
でも考えさせられる
この本は小学校の教科書なのに政治のことが書かれている
スウェーデンでは若者の投票率が高い
それだけ政治に関心があるのか?といえば、
アンケートをとると無関心の度合いは日本の若者とそんなに変わらないらしい
ただ明らかに違うのは「私個人の力で政府の決定に影響を与えられない」の問に対する
「そう思わない」「どちらかと言えばそう思わない」
「どちらかと言えばそう思う」「そう思う」の回答だ
スウェーデンでは「そうは思わない」「どちらかと言えばそうは思わない」が多く
日本ではその反対だ
つまり、スウェーデン人は自分個人の力で政府の決定に何らかの影響を
与えることができると信じている
これはスウェーデンの若者が世間知らずと言うよりは、
教育の成果としていて時間をかけてこのような人を育てているということだ
前回の中学の教科書でも見られた「ちゃんとした大人を育てる」という方向性は
少しばかり羨ましく感じる
いろんなことを知るということは、まずは比較できる
その比較によって自分の立ち位置を確認できる
必ずしもスウェーデンのやり方がベストとは思わないが、それでも知っておいて損はないと思う
特に関係者は、、
2022年01月26日
中島敦の「名人伝」とヘッセの「詩人」
あちらからのコピペ
先日取り上げた「山月記」の入っている文庫本の中には
もしかしたら、こちらの方が良く覚えているかもしれない
と思われる作品がある
それは「名人伝」で、弓の名手が更なる高みを求めて
師の下でいろんな修行を経て、遂には弓を引かずとも
獲物をとらえることができるようになったという話だが
印象に残ったのは、その最後のオチで
彼は弓という武器の存在・機能を忘れてしまっていたという
少しばかり禅問答的な結論になっている
この物語は、夏休みの読書感想文に困った中学生には
短くて面白い結末なので取り上げるようにアドバイスしたことがある
そんなことを思い出していると、似たような話にヘッセの
「メルヒェン」の中の「詩人」という短い物語を思い出した
ここに出てくる人物も詩人になるべく修行を続ける
(このあたりは山月記の虎になった友人を思い出させる)
彼も師のもとで詩作以外のいろんな経験をする
彼は遂には、論語の「従心」(心の欲するところに従えども矩をこえず)
の境地に達する
そこで彼は修行で離れていた故郷に戻る
この物語の最後、男の脳裏に浮かぶイメージは「シッダールタ」に似た
とても宗教的に浄化されたような気分が支配する世界で
それは中島敦の「名人伝」に通じるものがあると勝手に思えてしまう
そう言えばアラビアン・ナイトの中にも同じような内容の話も
あったような記憶が薄っすらとある
このような物語とか小説類の本は、実生活に役立つかどうかわからない
だが、こうしたどこかに隠れているような記憶が全然ない世界はつまらない
ということで、自分は無駄なものが好きという話
先日取り上げた「山月記」の入っている文庫本の中には
もしかしたら、こちらの方が良く覚えているかもしれない
と思われる作品がある
それは「名人伝」で、弓の名手が更なる高みを求めて
師の下でいろんな修行を経て、遂には弓を引かずとも
獲物をとらえることができるようになったという話だが
印象に残ったのは、その最後のオチで
彼は弓という武器の存在・機能を忘れてしまっていたという
少しばかり禅問答的な結論になっている
この物語は、夏休みの読書感想文に困った中学生には
短くて面白い結末なので取り上げるようにアドバイスしたことがある
そんなことを思い出していると、似たような話にヘッセの
「メルヒェン」の中の「詩人」という短い物語を思い出した
ここに出てくる人物も詩人になるべく修行を続ける
(このあたりは山月記の虎になった友人を思い出させる)
彼も師のもとで詩作以外のいろんな経験をする
彼は遂には、論語の「従心」(心の欲するところに従えども矩をこえず)
の境地に達する
そこで彼は修行で離れていた故郷に戻る
この物語の最後、男の脳裏に浮かぶイメージは「シッダールタ」に似た
とても宗教的に浄化されたような気分が支配する世界で
それは中島敦の「名人伝」に通じるものがあると勝手に思えてしまう
そう言えばアラビアン・ナイトの中にも同じような内容の話も
あったような記憶が薄っすらとある
このような物語とか小説類の本は、実生活に役立つかどうかわからない
だが、こうしたどこかに隠れているような記憶が全然ない世界はつまらない
ということで、自分は無駄なものが好きという話