2024年01月04日

ショートメールを使った詐欺メールに注意!

新城の防災無縁では、年末にオレオレ詐欺の犠牲になった方が
いらっしゃると注意を促す放送がありました

時々いくつかの詐欺メールを紹介してきましたが
今回のスマホに送られたショートメールもその1つです
スクリーンショットしたのでここでアップします



自分には届くような買い物はしていません
だからおかしいとわかるわけですが
悪さをする人たちは何万分の一でも引っかかれば良いと思って
仕掛けてきます

良くないことの多い年始です
この手の詐欺には引っかからないようにしましょう
  

Posted by パパパ at 15:08Comments(0)真面目な話

2023年12月16日

詐欺メールに注意を!

年末になると強盗とか空き巣とかの犯罪が多くなる
年末に限らずやってくるのが詐欺メールとかサポート詐欺

今朝、迷惑メールフォルダに入っていたのがETC利用者に向けた以下のメール
(スクリーンショットしておいた)








そもそもETC利用照会などのサービスなどには登録していない(あったとしても)から
こんなメールが来るはずがない
ということで、少しでも役に立てばと思い、注意喚起を促した次第

それにしても、いつになってもこの手の悪事は減らない
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」
つい石川五右衛門の辞世のこの句をを思い出してしまう

注意しましょう



  

Posted by パパパ at 09:20Comments(0)日々徒然

2023年11月27日

これが出てきたら注意!(詐欺です)

久しぶりの投稿

新城市の防災無線でもインターネット絡みの詐欺については
注意喚起を呼びかけている
耳で聞くだけでけではわかりにくいこともあるので
昨日、自分のPCに突然現れた画像を示すことで
更に注意喚起をしたいと思う

昨日ポップアップ画像として現れたのがこれ


これはスクリーンショットをしておいたもの

とにかくこの絵が出てきたら、詐欺だから無視して、対応するのは止める!
それが一番

今は詐欺メールもやってきたりすることも少なくない
お互い、いろいろ気をつけましょう

ところでこちらは久しぶリの投稿だが、
コンスタントに投稿しているボケ防止のブログはこちら
お暇な方はどうぞ


  

Posted by パパパ at 11:01Comments(0)真面目な話

2023年08月01日

なでしこ  スペインに勝利

久しぶりの投稿
あちらからのコピペ

女子ワールドカップ・リーグ戦のなでしこの2試合目、3試合目は
偶然にも男子のワールドカップと同じ組み合わせだった

男子は2試合目は0−1でコスタリカに敗戦
3試合目はあの三笘の1ミリで2−1の勝利
格上のスペインに勝ったのは記憶も鮮明なところだ

なでしこの場合は、FIFAランキングはスペインが上で
バルセロナの選手を中心にしたパスとテクニックに富んだチームは
失点を抑えるのは難しそう、、と予想した

試合開始の数分間はそんな感じだった
一つ一つが上手いな、、体も強いし使い方も優れていてボール奪取ができない
男子のバルセロナチームと戦う感じだ
(精神的な疲れが心配)

だがパスを繋いで、攻撃的で、ポゼッションが高くてもサッカーは勝てない
この事実がまたもや明らかになった
なでしこは4−0の予想を大きく上回る得点差で勝利
試合はコントロールされているように見えても
きっちりとカウンターでチャンスを決めきった

足が速いというのは本当に有利だ
最初の得点シーンは左からのクロスに日本人は二人走り込んでいたが
右側を走っていた宮沢の速いこと
まるで味方のボールさえ奪ってシュートするような感じ
本当にカウンター攻撃の見本みたいなもの

2点目もショートカウンター
植木のシュートが相手の足に軽く当たってキーパーはタイミングが外れてしまった

こういう日は何をやってもうまくいく流れ
3点目も4点目も、実力というより流れを掴んだ感じ
次に当たったら同じようになるとは思えない

それにしても、男子の日本のチームもそうだったが
勝つためには守ってショートカウンターが徐々に現実的な戦術となりつつある
男子の大会のモロッコもまるっきりそうだった

いくら攻撃が強烈でも守る方の進歩は、なれることによって万全になっていく
バルセロナFCのテレビゲームみたいな戦い方(ベンゲルがこぼしたセリフ)も
実はその戦い方が優れていたというよりは、メッシという点取り屋がいたから
機能しただけなのかもしれない

守りも攻撃も慣れによって、いろいろ対応力が深まっていく
負けたら終わりのトーナメント戦に入っていくなでしこは
次は体格が大きなノルウェイが相手でめったに経験できない戦いを強いられる

だが、勢いに乗るとか流れとか、、そういうものを大事にして戦うのが
短い時間での戦いのコツと言われる
テレビはまだ大騒ぎしていないが、大騒ぎするくらいの結果を一番求めているのは
日本の女子サッカーを活性化したいと考えている選手たちだろう  

Posted by パパパ at 18:23Comments(0)サッカー

2023年05月04日

久しぶりのサッカー観戦(無料招待を利用した)

シニア無料招待を利用してGW後半の一日、豊田スタジアムにでかけた

やはり芝生のグランドは良いな!
選手はやりやすそうだし、キーパーはダイビングキャッチしても
擦りむき傷は無さそうだし、観客の目にも良さそうだし、、、
3年ぶりのサッカー観戦でそんなことが浮かんだ

Jリーグが始まった頃は芝生はこんなに良くなかった
雨の瑞穂競技場では水たまりがところどころできて
そのせいで途中でボールが止まったり
PKの蹴ったボールがキーパーの逆を取ったにもかかわらず
水たまりで止まってしまったりして
せっかくの熱戦に水を差されるというのはこういうことか!
と思ったものだった
同様に見る方も大変でかっぱを着ながら見たものだった

それが今では日本のサッカー場の芝生のレベルは
世界でもトップクラスとなっている
昨日のスタジアムからの視界はこんな感じ


席は


シニア無料で両隣りとも埋まっていた
念の為、この席は普段は幾らなんだろう、、
と調べてみると、大人3,400円だった

スタジアム往復の電車賃(名鉄国府駅から豊田)は1,900円で
駐車場代金700円の合計2,600円だから
普通なら6,000円の出費となるところを半額以下で済んでいる

豊田駅からスタジアムまでは1キロちょっとあるが戦いの前の
どこかザワザワした非日常の雰囲気を感じながら歩くのも悪くない

この試合、テレビで見ていたらどんなふうに感じたのかわからないが
(この地方ではこの試合の中継があった)
生で見るのと、きっと違った印象をもったと思われる

試合開始はバタバタする
ゲームが落ち着かない、、という表現がされるが
約10分ころ神戸の大迫がヘッドで得点
上手くいい場所に侵入して決めた、、というより
なんかあっさり決められた感じ

漠然と感じたことは、神戸の方が意図があるプレーが多かったということ
グランパスの攻撃は縦に速いことを目指していても
殆どが相手の網に引っかかって、そこからカウンターになってしまう

また高いボールの勝負は神戸の方が勝っていた
このレベルの戦いでは、さすが前日本代表の大迫はヘッドもポストプレーも
効いている感じで神戸に前を向かせるのに役立っていた

グランパスのパスはサイドには問題はないが
中央からの縦のパス、いわゆる楔のパスとかスルーパスは効果的なものはなかった
パスコースがバレていたり、微妙にパスコースが雑だったりしていた

パスセンスというのは、縦のパスの時に現れる
良い選手のパスは縦のパスがよく通るものだ
(イニエスタは縦のパスがうまい、昨日はサブにも入ったいなかった)
選手の才能を見る時、中央の縦のパスが難なく通る選手はいい選手と見ていいと思う
DFでも縦のパスとか前線へのフィードが正確な選手は
そこからが攻撃の起点となるり護りだけの選手ではない役割だ
(富安も守りだけでなくパスセンスが評価されている)

サイドの選手の才能の見分け方は、クロスを入れる時にボールを
守りの選手にぶつけるか、ぶつけないかで判断できると自分はずっと思っていた
昔のことだが、ストイコビッチが左サイドにいて、中にパスを送るとき、
彼はほとんど守りの選手の身体に当てるパスはなかった
海外の試合を見ていても、優秀選手は守りが中に入れさせないようにしていても
ちゃんと中に入れて決定的なチャンスを生み出している

試合は2点目もなんとなくあっさり神戸が得点し
戦いの糸口が見えないグランパス(なんだか出たとこ勝負に終止しているように思えた)
このまま終わるのか、、と思ったが、
ユンカーがマテウスのシュートをキーパーが弾いたところを詰めて得点し一点差となった

それでも同点になる気配はそんなに濃くはなかった
こういうときの会場というのは応援する熱気が選手を後押しする
時間がどんどん過ぎていき、残り時間が無くなっていくにつれて大声になっていく

ほとんどラストプレーに近い時間
何しろシュートを撃たねばことは始まらない
相手のゴールに攻め入って少し強引でもシュートチャンスをつかむしかない
ペナルティーエリア付近で、ボールが行ったり来たりしていた時
藤井の足元にボールが来た
この時のシーンはまるでスローモーションで見ていたかのように鮮明に覚えている
彼は目の前に来たボールをすぐに蹴らずに、一旦フェイントで相手を交わし
ボールを右に持っていきシュートしネットに突き刺さった
その瞬間の会場の大音声の喜び、熱気は、まさにサッカーを生で見る醍醐味だった

神戸の選手は悔いが残るのはわかる(審判に何やら抗議していた)
センターサークルの試合再開キックオフに神戸の選手が
やけくそに大きく蹴ったところで試合は終了
グランパスは負け試合を拾ったという感じ

それにしてもナマでの記憶というのは不思議なもので
最後の藤井の相手を交わしてのシュートというのは
その瞬間だけ時間が止まったような、まるでスローモーションのように見えたし
今でも思い出すことができる

家でこのシーンを動画で確認したが、記憶の中のシーンのほうがずっとリアリティがある
こうしたことがあるから、生観戦はやめられない、、という人が生まれるのだろう

GW後半の一日
ちょいと疲れたが、良い日だった





  

Posted by パパパ at 11:26Comments(0)サッカー

2023年04月12日

超・進化論

またもやあちらからのコピペ
今回は本のお話
あまり面白くないかも


最近は植物の不思議にハマっている
脳もなく動けずただ耐えているように見える植物も
実は彼らなりの独自のコミュニケーションをとったっり
他の生き物(微生物)などと共生して
自分たちの寿命を伸ばしたり、子孫を残そうとしているなど
ついつい人間中心(動物中心)の考え方を
考え直すきっかけとなっている

そのきっかけとなったのがNHKスペシャル「超・進化論」で
堺雅人、西田敏行がドラマ仕立ての進行役となって
とても驚きに満ちた世界を紹介していた

この番組を書籍化したのがこの本「超・進化論」



植物、昆虫、微生物の3つの章に分かれて
それぞれが番組で登場したエピソードが紹介されている
流石に番組を見たあとは読みやすい
これが本だけだったらどのくらい頭に残ったのか
と思うと、見ることを中心とした情報の受け取りというのは
大きな力を持つことがわかる

世の中は、知らない不思議に満ちている!が実感だが
最近は小説などのフィクションはマイブームとなっておらず
この手の驚きに満ちた世界を覗くほうが満足感を覚えている

この本を読み終えて、現在読書中なのが「植物はそこまで知っている」
この本は実験で、カリウムイオンの移動、電気信号の変化、
匂い物質の変化等を科学者らしく厳密にチェックしている

すると、その植物とか生き物は意思を持って(道徳的に)共生しよう
としているのではなくて
いろんな選択肢があるなかで確率的に効率の良い方法が
共生する生き方として残ったに過ぎなくて
(マザーツリーにあったように)共生こそが良しとするのは
少しばかり人間の希望も入っているのかもしれない!
と思えるようになった

このように本を読んでいくうちに人の気持ち心は変化する
まずは驚き、人間中心主義の反省、あるべき(道徳的)姿への憧れ
しかし、あるべき姿に見えるのは単に確率的な結論に
過ぎないかもしれない、、という思いと、それに対する不安

つまりは、それこそ(確率)が進化論の本質なのではないか
とも思えてしまう
結局進歩という概念は「生き延びる」という事実だけを
取り出し扱うと単に確率の問題となってしまうので
そこに良し悪しといった極めて人間的な要素を入れないと
どこ貧しいものになってしまいそうということ

ということで、相変わらずまとまりのない話

人がボケないようにするためには
「人と話す、本を読む、旅に出る」のが良いそうだ
今のところ、本を読むはできているが
人と話すのは固定した人としかできていないし
旅はちょっと理由があって行けていない

とにかく何らかで頭を使うことが良さそうだ
でも自己完結ばかりでは、ちょいとまずいかも!



  

Posted by パパパ at 09:11Comments(0)

2023年04月11日

外国人が見た日本の社会(「歴史の終わり」から)

少し真面目な話

選挙が終わった今
数年前のあちらからのコピペ
ダラダラと長いです

アメリカの若者が左派あるいはリベラル志向なのに対して
日本の若者が反対の傾向があるのは何故だろうというのは
新聞社の中でも、その原因を検討すべきと考えられているようだ(毎日新聞)

だがこれは若者に限ったことなのか、そもそも日本人に最初からそういう傾向が
あるのではないか、、、とも思ったりする

最近、流し読みした「歴史の終わり」(下)【フランシス・フクヤマ】には
日本のことについて興味深い著述があった

抜粋してみると

ほとんどのアジア諸国では政治的権威の起源が欧米の場合と異なっており、リベラルな民主主義についての解釈も歴史的にそれが誕生してきた国々とはかなり違っている。儒教的な社会においては集団と言うものが労働倫理を維持する上で重要なばかりでなく、政治的権威の基盤 としての決定的な意味を持つ。ある一個人が地位を得るのは、当人の持っている個人的な能力や価値のおかげと言うより、もっぱら彼が数珠つなぎになった1連の諸集団のその一つに属しているためだ。例えば、日本の憲法や法体系はアメリカと同様に個人の諸権利を認めているかもしれないが、一方で 日本の社会は先ずもって集団を認めようとする傾向がある。
このような社会における個人は、当人が既存の集団の一員であってその規則を遵守する限りにおいて尊厳を持つ。しかし彼がその集団に対して自己の尊厳や権利を主張するやいなや伝統的な専制支配の公然たる暴政に劣らないほどのひどい社会的村八分にあい、地位を失う羽目になる。 このことが協調性を要求するための計り知れない圧力を生み出し、そのような社会に暮らすものは幼い子供の家から協調性を植え付けられていく。言い換えればアジア社会における個人はトクヴィルの の言う「多数者の専制」、あるいはむしろ大小問わず個人の生活と関わりのあるあらゆる社会的集団の中の多数者の専制の餌食となっているのである。

なんだか思い当たる節が多い
この先少し省略した後、こんなふうに続く

アメリカでも子供たちは、幼いうちは両親の権威への服従を要求される。だが成長するにつれて彼らは親に反抗して自分自身のアイデンティティーを主張し始める。 親の価値観や希望に子供が公然とそむく10代の反逆という行為は、1人の大人の人間としての個性を作り上げていく過程でほとんど欠かせないものなのだ。なぜなら反逆という行為によってのみ子供は自立と自活への精神的心構えを養っていく。同時に 自分を守ってくれる家庭という傘を捨てる能力、そしてのちには1人の大人としての人格を支える能力に基づいた、一個の人間としての「気概」に満ちた自己価値観を磨いていくのだ。この反逆の時間をくぐり抜けて初めて彼は両親と互いに尊敬し合う関係に戻れるが、それはもうかつてのような 従属関係ではなく対等な付き合いなのである。

これに対して日本は異なる。幼い頃の年長者への服従は、成人してからも一生続いていくのが当然とされる。人の「気概」は、個人の資質に誇りを抱く自分自身にではなく、むしろ、個々の構成員以上に全体としての評判を優先する家族その他の集団へと結びついていく。 怒りが生じるのは他人が自分自身の価値を認めてくれなかった時ではなく、こうした集団が軽視される時である。逆に最大の羞恥心は、個人の失敗からではなく自分の属する集団が被った不名誉から生じる。

どちらが良い悪いではなく、どうも根本的なところが違うようだ
でもどちらかと言えば(自分は)個の確立をベースとした西欧的な方向性に共感を覚える
(ただ問題は、日本人の多くはどう感じるかという点 )

興味深い著述は更に続く
今度は観念的というよりは現実の報告のようだ

日本での集団意識のあらわれの第2番目のものは、従来からの西欧流の民主主義的な「政治」というものが沈黙しているところにある。というのも西欧の民主主義は善悪についての「気概」にもとづいた対立意見のぶつかり合いの上に成り立ち、その対立はマスコミでの論戦となって現れ、最終的には各種レベルの選挙によって利害や主張の異なる 政党が政権交代を繰り返していくのである。この対立意見のぶつかり合いは当然至極で、民主主義の正常な機能にとって不可欠な付随物であると考えられている。 対照的に日本では、社会全体が単一かつ安定した権威の源泉を持っているただ1つの大集団とみなされがちだ。そして集団の調和を強調することによって、開かれた対立は政治の外縁部と追いやられてしまう傾向にある。 だから日本には「政治問題」での衝突による政権交代は皆無で、むしろ自由民主党の支配が数十年にわたって続いているのである。
もちろん、自由民主党と野党の社会党や共産党とのあいだにはあからさまな論争もあるが、これらの野党は、主張が急進すぎるために時流から取り残されているのが現状だ。そしてまともな意味での政治の駆け引きは、おおざっぱに言えば中央官僚制度の内部や自民党の密室などの大衆の目が届かない場所で執り行われているのである。 自民党の中では、政治は個人的な親分・子分の関係に基づいた派閥の絶え間ない奸策の周りをぐるぐるめぐっており、西欧なら誰もが政治の中身として理解しているものがそこには全く欠けているのだ。

日本の民主主義は、欧米の基準からすればどこか権威主義的に見える。この国で1番の実力者は高級官僚や自民党の派閥の領袖たちだが、彼らは民衆の選択によってその地位に出したのではなく、学歴か、さもなくば個人的なコネを通じてそこまでのし上がってきた。
こういう連中が、選挙結果や大衆からの各種の圧力にはさほど耳も貸さずに、共同体の福利に影響及ぼす重大な決定を行っているのである。 とはいえこのような体制は根底では民主主義の枠内にとどまっている。なぜならそれは定期的な複数政党選挙や基本的諸権利の保障などリベラルな民主主義の基準を満たしていると言う意味で形式的には民主主義であるからだ。

日本では若者が保守的っぽい(政権支持が多い)のは、
昔、棒を振って暴れた連中は結局何もなし得なかったという冷めた見方から来るのでもなく
若者は経験が少なくて自分自身の考えに自信が持たないので、多数派(政権)に従っていれば間違いはないだろう
とするのでもなく、上に挙げた「歴史の終わり」で解説されたような日本人が当たり前にように感じている社会(もしかして権威に弱い)
の反映なのではないだろうか

いずれにせよ、外国からは日本人の実態はこのように見られていて、実感としてそれは否定できない部分も多い
要は個の確立からスタートする一つの人格の選択によるものが、真の(西欧流)民主主義行動と言われそうだが
果たして日本は形式的民主主義から脱皮でるか

若者の政権よりの問題は、単に若さだけの問題ではなさそうな気もしてきた


  

Posted by パパパ at 09:35Comments(0)真面目な話

2023年03月28日

侍はなぜ人偏に寺なのだろう

お気楽な話  
あちらからのコピペ


ここ数日、侍ジャパンという文字がよく見られた
不意に、なんで侍という字は人(にんべん)に寺なのだろう?
と頭に浮かんだ

寺の文字が入った漢字に、病垂れに寺の「痔」があるが
これは一旦痔の病になったら死ぬまで治らない
(寺に世話になるまで治らない)という意味が込められているのだとか

侍は何かが寺に関することで、寺の人となっているのだろうか

武士のことを「もののふ」ともいうが
古代氏族の物部は読み方を少し変えると「もののふ」となる
実際に物部氏は武器を扱う役割を担った一族だったらしい

漢字は沢山ありすぎて困るが、こうしてたどっていくとなかなか面白い

それにしても「かわる」という字の変換はいつも困る
変わる、代わる、替る、換わる、、
いつも面倒になって、ひらがなのまま使うことが多くなっている
同様に困っているのは、読むことはできても漢字が書けなくなっていること
やっぱり書かないと駄目かな


  

Posted by パパパ at 09:33Comments(0)日々徒然

2023年03月26日

猫背を真似てみると(背中を丸めてみると)

お気楽な話
あちらからのコピペ

先日、店のウインドウに写った自分の姿を見てちょいとショックだった
それは背中が丸くなって、所謂猫背だった
その姿はお世辞にも若々しいとは言えない
(実際若くないのだが)

時々母の様子を見に来る姉が、歩く姿を見て「腰が痛そう」と口にした
確かに腰痛はずっと続いていて、以前のように火山の噴火のような
ぎっくり腰の後だけではなくなっている
どうやら脊椎間狭窄症というやつで、身長も縮んできている

背中が丸まっているので反って伸ばそうとすると、思いの外うまくいかない
医者でチェックするときも後ろに反るのはうまくいかない
そこで背中を伸ばす道具(寝転んで背骨が伸びるようにしたもの)を
使ったりするが、その時は気持ちスッキリしたような気もする

ところが最近一番驚いたのは、背中を反るのではなくて
反対に猫のように思い切り丸めようとすると
これがとても気持ち良いことに気づいたことだ

腰のあたりの骨の間隔が重力で押しつぶされているのが
背中を丸めることで、背中と腰の間がじっくり伸びて
道具を使っているときよりもスッキリする

それを実感して以来、朝の仏壇のお参りのときには
思い切り猫の真似をして(?)背中を丸めている

押してだめなら引いてみな、、
確かに、そういう事かもしれない  

Posted by パパパ at 09:44Comments(0)日々徒然

2023年03月11日

「江戸の裁判」は途中から読み始めるのがおすすめ

数年前に中日新聞に紹介されて、勢い込んで購入したものの
最初の章の候文(そうろうぶん)に困惑し、投げ出して
そのままだったのを、もったいないと引っ張り出したのが
地元の奥三河のドタバタの記録を丹念に書かれた
江戸の裁判 花祭りの里天保騒動記「議定論日記」だ


今回の挑戦は面倒な候文は省略して次の解説の部分からにしたが、これが面白かった
奥三河、東栄町の農民と商人の諍いの顛末が詳しく書かれているのだが
自分と同様に購入したものの、途中で挫折した人もいるようなので
まずは途中から読み始めることをおすすめする

この裁判ごとの発端は、江戸時代の東栄町の農民は
楮、柿、莨(たばこ)を商人に売って現金化するのだが
その売買に関して何人かの商人同士が
商人にとって都合の良い約束事を決めて(議定書)
それを回しているうちに何故かバレてしまって、怒った農民が集まって
行動を起こしたのだった
商人の「締め買い締め売り」が江戸時代には禁止されていたようだし
農民が集まって一緒に行動を起こすことも禁止されていたようだ

だが江戸時代にも訴訟のシステムがあったようで
段取りを追っていけばそれなりの裁判のようなものはできたようだ
こうした裁判のシステムとか江戸時代の社会の様子がとても面白い

赤坂に幕府の出先機関があって、最初はここで農民と商人の民事裁判
みたいなことが行われた(この時代は歩いていったのだろうが大変だなと思う)
それがまとまらなかったので結局江戸まで出かけて
最高裁みたいなところで結審を求めることになった

ところが(現代でもそうだが)を裁判の手続きとか裁判所に提出する書類などは
素人が作成するのは難しい
江戸時代ではお白州のある場所の近くに、宿屋があって日本国中の訴訟に関わる人が泊まった
そこの宿屋の人が今でいう弁護士みたいな役割を代わりに行い
お白州に提出する書類とかをまとめたりしたそうだ
(その中には有名な人物がいたようで、現在でも有名な弁護士の存在と被る)

この本の面白いのは、実はことの顛末ではなくて、こうした雑学的な部分だ
東栄町と言えば花祭りだが、一部の部落の花祭りでは神仏習合のそれから
神道の祭りに変わったとも書かれている
(一気読みするといい加減な記憶になって自信がないが
これは江戸時代ではなくて明治だったかな)


記憶に残っているのは、裁判というもののこうした行政訴訟は
お白州は、なるべく和解とか示談が薦められたようだ
だがお白州で武士がそれを匂わせると農民は不満な表情を見せる
すると無礼者!と農民はしっかり怒られてしまう
江戸時代は士農工商の世界で、武士はプライばかり高くて
困ったものだとつい農民側に肩入れしてしまった

これらの情報を得た上で前半の候文(日記の部分)を読んでいけば
時系列に沿っているので面白いだろうが
残念ながらそれをする気力も馬力もないので、これで読んだことにしよう
(少し悔しいが)







  

Posted by パパパ at 09:16Comments(0)

2023年02月28日

NHKを語る詐欺メールに気をつけましょう

こんなメールが届いてました



もし、同様なメールが届いていたら気をつけましょう
これは詐欺メールです

検索するとフィッシング詐欺に気をつけるようにと
同様なメールが紹介されています

最近はETC絡みとかAmazon絡みの変なメールが届くようになってます
お互い、気をつけましょう!
  

Posted by パパパ at 13:07Comments(0)真面目な話

2023年02月23日

「暇と退屈の倫理学」(国分功一郎)を一気読みした

久しぶりの投稿
でも横着して、あちらからのコピペ
(あまり面白くないかも)

仕事(のストレス)から開放されて、悠々自適な生活が確保されている年金生活
だが実際にその生活を経験してみると、思いの外つまらないと感じている人は多いのではないか
何かをしなければならないことがなくて、あるのは余りあるほどの時間
忙しそうにしている人間、しなければならないことがある人間を見て
どこか羨ましく感じてしまうのは「毎日が日曜日」の人間にはありそうなことだ

暇があることは退屈・苦痛につながると深い考察を面白く考察しているのが
「暇と退屈の倫理学」 国分功一郎著だ


日曜に名古屋の丸善で見つけて購入し一気読みした
帯には「東大・京大で一番読まれた本」とあるが、それが理由で購入したのではない
以前、国分功一郎氏の本を読んで良い印象を持ったからで
書店でパラパラと拾い読みして面白そうと感じたので購入した

人が持て余す時間、、暇というものはどういうものか?
そもそも人は何を求めているのか?
こうした問を実感を込めて著者は考察していく
そこにはパスカルを始めとしてハイデッガーやハンナ・アーレントなどの
哲学者が登場するが、興味深いのはそれが各哲学者の解説に終止していなくて
「ここは違っている」とツッコミを入れていることだ
著者は過去の哲学者の思考を追いながらも、実感を込めて彼なりの視点で「退屈」を考察する
このように他人の考えを理解するだけでなく「自分で考える」ことが哲学の実践で
そうすることこそが退屈から逃れる方法かもしれない、、としている(ような気がする)

人は自由だとか、好きに使える時間がある方が好ましいと建前上は思ったりするが
実際は、何かに支配されている方が楽ちんだと考える傾向がある
この本では出てこなかったがフロムの「自由からの逃走」では
全て自由な判断・決断ができる人間は却って迷うことになり
むしろ別の誰かが決めてくれた行動をしたほうが精神的に楽で
ついそうしたものを求めてしまう
これは「カラマーゾフの兄弟」の有名な大審問官の言い分にもあって
暇と自由の違いはあるが、選択の幅が多くあるということはなかなか辛いということだ

暇と時間を持て余すのは人の傾向かもしれないとハイデッガーの考察が多くのページをさいて
解説してあったが、一気読みしたので、このところはイマイチ理解できなかった
不意にハンナ・アーレントの「人間の条件」で取り上げられた労働・仕事・活動と分けられた概念も
実は観念的でどこか理想主義的な要素に過ぎるような気がした

この本を一気読みしたのは、暇を持て余す人々の行いが自分の日々の行いとか考えにそっくりだからだ
つまり、「自分のために書かれている」と錯覚しそうだったからだ

この本の最初の方に「うさぎ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?」と題された章がある
今からうさぎ狩りに行こうとする人に、獲物であるうさぎをプレゼントしたら
狩人はどんな思いをするかという思考実験で、その他にも
ギャンブルに向かう人間に、ギャンブルで得られる報酬をギャンブルしなくても
与えられたらどんなことになるかを論じたものだ
つまり彼らが欲しているのは成果物としての報酬(うさぎ・お金)ではなくて
一種の苦痛とか暇つぶしを求めているに過ぎない、、と解説している

このように頭の中の抽象的な話と思いきや、少し笑えてしまうそうなエピソードに溢れているので
読み始めた人は自分と同じ様に一気読みするものと思われる
(ただし、このタイトルで購入する人はそれほど多くないと思ったりする)



  

Posted by パパパ at 18:34Comments(0)

2023年01月13日

瀬名姫のこと(どうする家康)

少し前(1月9日)のあちらからのコピペ

 NHK大河ドラマ「どうする家康」が始まった
若干地元に関係するので今年は見ようと思うが
ドラマは面倒なのであまり見ることはない

今までは土方歳三に興味があったので「新選組!」
綾瀬はるかがかわいいので「八重の桜」
高校の同級生に井伊直〇さんがいたし
地元も少し関係するので「おんな城主・直虎」
見たのはそのくらい

今年の家康は地元新城に関係ないとは言えない
家康の誕生に関係する鳳来寺山
織田信長と一緒に戦った長篠の戦い(設楽原の戦い)
いつもより早めに泣いた鶏の声で窮地から逃れた満光寺
それから家康の長女の名前がついた亀姫通り

でも全てがメインストリートではなく周辺をかすった!という感じ
観光協会もなんとかこのチャンスを活かそうと思っているが
少しでも新城にとって良い方向になれば、と思う

第4日曜日に行われる新城軽トラック市の開催場所に
「亀姫通り」がある
亀姫は徳川家康の長女で新城の城主奥平信昌の正室
母は瀬名(築山御前)で今回のドラマでは有村架純さんが演じている

この瀬名さんは「おんな城主・直虎」では菜々緒さんが演じていた
昨日見た瀬名さんは、彼女の後の悲惨な運命(息子信康の切腹、自身の殺害)
を考えると、この役者さんで大丈夫なのかな?と思ってしまった
(反面、彼女の苦悩する演技が見どころでもあるが)

徳川家康の、あるいは徳川家の悲劇は瀬名さんと息子の信康のこと
既にそれを知っているので、これから始まる物語といえども少し気が重い

後に平和な時代が続くとしても、戦いはいつの時代も悲劇を生み出してしまう
今回の家康のキャラクター設定は昨日ので想像がつくが
そのままでは少し不満が出るかもしれない

ところで亀姫は奥平信昌に側室を設けさせなかったとウィキペディアにはある
瀬名姫の娘として亀姫が親の血を受け継いでいるとするならば
瀬名さんは気の強そうな菜々緒さんのほうがぴったりな気がしないでもない


  

Posted by パパパ at 11:05Comments(0)日々徒然

2023年01月11日

「帝銀事件」2冊の本

昔、映画の広告コピーに「読んでから見るか、見てから読むか」があった
角川映画だったと思うが、本も読んでほしいし映画も見てほしい両面作戦だった
以下の二冊は「見てから読んだ!」本だ


見たのは、NHKスペシャル未解決事件ファイル「松本清張と帝銀事件」
事件からだいぶ時間が経過し、今だからこそやっと表に出せるような内容だったかもしれない
番組は松本清張が出版社と「ノンフィクション」と「小説「フィクション)」
のどちらで発表するかを悩むシーンがある(その場面はドラマ仕立てだった)
だがドラマ仕立てだけにわかりやすい内容だったと言える

帝銀事件は昭和23年の年始めの頃、都の職員を語る男が帝国銀行の支店に現れ
赤痢にならないための薬だと言って毒薬を飲ませ
12人が亡くなるそのすきに金銭を盗み出すという残酷な事件だ
帝銀事件はこんな事件→帝銀事件

毒物が青酸化合物で青酸カリとな青酸ナトリウムならば
瞬時に死に至るのだが、一分ほどのタイムラグがあって
毒を飲んだ人はそれからバタバタと倒れてしまう
このタイムラグを実現できるのはどういう人か?が事件の肝心な点で、
可能性として悪名高い731部隊の関係者が疑われる
警察もその線で捜査を進めていたが、あるときからパタッと
方向が変わってしまう

そのきっかけは、平沢貞通という画家が容疑者として逮捕されてからだ
彼は似顔絵に似ているとか、お金を銀行から出金したときの筆跡が似てるとか
出どころ不明のお金が事件後使われているとか、、、
つまりは直接証拠ではなくて間接証拠・状況証拠と世の中の空気によって
極めて怪しい人間として扱われてしまう
(筆跡鑑定をした人は以前に間違った鑑定をしていたし
 似顔絵も犯人じゃないと宣言する被害者もいたのだが)
彼は裁判にかけられ死刑となるのだが、今の感覚からすると
えらく強引に犯人にされてしまっている
それは旧刑法の自白中心主義でせいで、平沢貞通氏は一旦は自白をしてしまう

この2冊の本を読むと、平沢氏は嘘ばかりをつく変な人だと実感する
脳に障害の残る病気になったからとの説明もあるが
それでも現代の裁判の状態ならば「疑わしきは罰せず!」
となるのだろうと想像できる
そのくらい、この2冊は精緻で客観的な論理展開が展開されている

今のタイミングでNHKがこうした番組を放送したのは
何か意味があるのか?たまたまなのか?
そんなふうに思うのは、考えすぎだろうか

  

Posted by パパパ at 17:24Comments(0)

2023年01月02日

今年最初に読み終えた本

年のはじめは験担ぎをする
囲碁将棋等の勝負師は、新年最初は勝ちで終えたい気持ちはわかる
自分も年はじめに読み終える本は
「読んでよかった」と感じたいものだ

昨年読み始め、非常に興味深くて、新年最初に読み終えた本にしようとしたのが
「植物は〈知性〉をもっている」ステファノ・マンクーゾ、アレッサンドロ・ヴィオラ


植物の能力について、人間(動物)中心の視点ではなくて
もっと柔軟な考え方による捉え方を紹介している
動物は脳とか心臓とか肺とか、こうした特化した器官を
持つことで進化を実現している
だがそれはその一つがだめになると死に至る
それと比べると植物はもっと生き延びる方法を持っている
彼らは身体の一部をなくしても生き続けられるモジュール構造で
身体はほとんど同じ作りになっている
進化というのが生き延びる方法の確保ならば
植物はイメージ以上に進んでいると考える方が自然だ

この本は昨年NHKスペシャル「超進化論」で
植物のコミュニケーションを扱った内容と似ていて
あの番組の元になったのはこれだ!と勝手に思ったりした

読んでいて面白い部分が多かったので、先へ先へと急いでしまったが
もう少しゆっくり読んで記憶に定着させたほうが良さそうだ
この中で面白い実験が紹介されていた

ある容器を2つ用意して、片方には一つの個体の種子を30個
他方には異なる個体の種子を30個いれて
どのように成長するかを観測するというものだ
その結果は母親が違う30個の種子はどれぞれがテリトリーを拡大しようと
無数の根を伸ばし、他の植物に害を与え、養分・水分を確実に
自分だけのものにしようとする
一方、同じ母親の30人の子どもたちは狭い場所に共生しているのに
母親の違う30人の子どもたちよりはるかに根の成長を抑え
地上部分の成長に力を注いでいたというのだ
つまり植物は遺伝子の近さに気づき、競争を避ける行動をとった
争うより手を結ぶほうが賢い選択とわかっているかのようだ

植物は動かない
動かずに生き続けるために動物とは違った手段を身につけている
動物だけが持っているとされる、視覚・聴覚・触覚などの感覚も
繊細な観察を行うと、それらはまるで植物も持っているかのようらしい

つまりは、人間とか動物が地上の最上位にいるとする考えは
植物は動物より太古から生き続けている事実とか
地上の生き物の総重量を測れば圧倒的に植物のほうが多いなどから
必ずしも正解ではなくて、むしろ地球の支配者は植物
とまで言えるともしている
この本は他にも示唆に富む部分が多いので再読したほうが良さそうだ

年はじめの読書は、まずまず上手くいったと言える

  

Posted by パパパ at 16:36Comments(0)

2022年12月21日

ワールドカップPK戦 (過去にはこんなことがありました)

またまたサッカーの話(あちらからのコピペ)
フランスはPK戦に弱いかもしれない
記憶に残っているフランスのPK戦は、自分がドイツを応援する
きっかけとなった試合で、ワールドカップスペイン大会での準決勝

フランスはプラティニ、ティガナ、ジレス等の優雅な中盤で
パスワークが素晴らしくシャンパンサッカーと名付けられていた
一方ドイツは質実剛健の感じで日本で知られている選手としては
リトバルスキーがいた

そのリトバルスキーが先制点を奪ったが、プラティニの得点で追いつく
試合は90分では勝負がつかず延長戦に!
ここでフランスが2点を奪う
サッカーのように点が入らないゲームはこれで勝負ありと思ったが
その後のドイツの粘りがすごかった
あまり格好のよくないオーバーヘッドと執念のシュートで同点に
この試合をリアルタイムで見ていた自分は本当に興奮した

決着はPK戦となった
ドイツの最初のキッカーはシュテーリケでゴールから外してしまう
その責任を感じた彼は肩を落として嗚咽する
それを近寄って慰めるドイツの選手
もつれた試合はフランスの選手もPK決められず
最後はドイツの勝利となった

ドイツはすごい
精神的にタフなドイツ、これ以後ドイツを応援するようになった
この大会はイタリアとドイツで決勝戦となったが
準決勝で力を使い果たしたドイツが
大会の得点王ロッシ等の得点で負けることとなった

ドイツはマラドーナとの決勝戦でも一度は2点差に追いつく
またいつの大会か忘れたがユーゴスラビアとの戦いでも
先行された3点(だったと思う)にも追いついた
ドイツに勝つのには苦労する、、
それが世界のサッカー界の認識だった

そのドイツに日本が逆転で勝ったのは一つの実績・歴史として大きく
日本のサッカー界の大きな自信となると思う
(と同時にドイツもメンタル強靭さが無くなってきているのかもしれない)

ワールドカップのPK戦でもう一つ覚えているのが
イタリア大会のアルゼンチン対ユーゴスラビア
ユーゴスラビアは監督がオシムさん、キャプテンがストイコヴィッチ
点取り屋としてサビチェビッチがいた
この試合はマラドーナ対ストイコヴィッチのエース同士の戦いと
試合としての勝負が見どころ
ところがユーゴスラビアは退場者を出してしまう
一人少ないユーゴはストイコヴィッチの信じられない頑張りで
幾度も得点のチャンスを生み出す
だが最後が決められず、ついにPK戦になった

このPK戦でストイコヴィッチは外してしまう
120分で獅子奮迅のプレイを展開し続けたストイコヴィッチが
どういう運命のいたずらか、、外してしまった
結局、PK戦にしぶといアルゼンチンが勝ち残った
(アルゼンチンはPK戦に強い)

負けず嫌いのストイコヴィッチは、個人的なパフォーマンスとして
マラドーナとの戦いでは「自分のほうが勝った」と口にした
それは負け惜しみではなくその通りだと納得した

そのストイコヴィッチが名古屋グランパスに来ることとなった時は
本当に驚いたし、彼の全盛期のプレイを見ることができたのは幸せだった

スペイン大会のドイツ対フランス
イタリア大会のアルゼンチン対ユーゴスラビアの試合は
名勝負として時々放送されることがあるが、
次に再放送されることがあったなら見逃さないように、、、





  

Posted by パパパ at 15:43Comments(0)サッカー

2022年12月19日

アルゼンチンに勝つ資格があったと思う(ワールドカップ決勝戦)

ワールドカップが終わった
日本も予想外に頑張ったが、まだまだ道は長い
深夜ついつい長いこと見てしまった決勝の感想
あちらからのコピペ

ワールドカップ決勝戦、アルゼンチン対フランス
戦う前はフランスのほうが少し有利だと思っていた
守りもフィジカル的に優れた選手が多く
ブロックを組めばアルゼンチンは攻めきれないと思っていた

ところがサッカーは相手あってのこと、見事に予想は外れた
外れたのは結果だけでなく、試合展開の方だ
前半はフランスのシュートがゼロ
要注意人物になると予想したグリーズマン、ジルーは
少しも良いところがなかった
(だから早いうちに選手交代があった)

それだけアルゼンチンの試合の入り方は良かったと言える
一対一の競い合う場面でもたくましさとか気持ちが溢れて
試合は2−0のまま終わるかもしれないとさえ思った

一般的に2−0は危険な点数で、日本も手痛い記憶があるが
後半になってもそんな危険な感じはしなかった、、
フランスがドイツなら、もう少しひたひたと押し寄せる
迫力みたいなものがあるが、フランスは、、、

そんなことを思っているといきなりPKになった
アルゼンチンの一点目がPKだったから、試合全体の流れはこれで帳尻が合う
エムバペは取れない位置に強く蹴り込んだ
その1分後、メッシから奪ったボールがフランス選手に渡って
ふんわりとエムバペのもとに、これをダイレクトボレーで同点に

たった数分の間に試合展開はわからなくなった
ここで面白かったのはベンチに退いたディ・マリアの表情だ
自身のゴールで勝ちを確信した彼は、喜びで泣きそうな表情をしていた
ところがあっという間の同点で、一気に顔の表情は不安が表に

2−0の試合は危険で、追いついたほうがイケイケになるので逆転になることが多い
これを逆転されない様にするのはなかなか難しい
だがアルゼンチンはここからがしぶとかった
試合の流れを変えるべく仕切り直しをしてゲームにあたった
リアルタイムで見ていた時はフランスは逆転はできないだろうと想像した

これから先どんな結末が待っているか、、と誰しもが思うが
マラドーナの大会の決勝戦も同じような状況になったことを思い出した
あの時もアルゼンチンがドイツに対し2−0でリードした
ところがしぶといドイツが2点追いつく
その後、マラドーナのパスから決勝点が生まれアルゼンチンが勝利したが
この試合もそのようなことになるのではと頭に浮かんだ

そして実際のところ、アルゼンチンがメッシのゴールで3−2となった
歴史は繰り返す、、これで終わりと思ったが、それで終わらなかった
この試合は白熱したゲーム展開というよりは、勝ち負けの振り子が
神様もまるで悩んでいるかの様にあっちに振れたりこっちに振れたりした
アルゼンチンの選手のハンドでPKはその現れだ

結局PK戦に
キーパーは当たってるという感覚はアルゼンチンの方にあった
(終了直前のセーブが素晴らかった)
フランスのキーパーは、メッシのPKでも不安そうな表情が見えた気がした

メッシはすごいな!と改めて実感したのがあのPKだった
先行のエムバペが届かないところに強くキックしたあと
メッシはすべての流れを分断するような、
あるいは流れをアルゼンチンに引き寄せるようなゆるいキックをした
(流れを変える時は時々こういうキックが現れる)

フランスの2番目のPKキッカーはプレッシャーを感じているのが表情に見られた
プロの世界はミスしたほうが負ける
結局のところ、アルゼンチンは4人全員が成功
フランスは2人が失敗となった

アルゼンチンの4人目のキッカーはハンドをしてしまった選手で
彼が勝負を決める役割となったのは、サッカーの神様の粋な図らいのように思えた

ということで決勝は延長、引き分けののち、PK戦でアルゼンチンの勝利となった
勝負は時の運というものの、やはり勝つべきチームが勝ってほしい
この試合の勝利に値するのはアルゼンチンの方だったように思う

それにしても選手とか対戦国の人たちは、感情の振幅が大きすぎて
疲れた試合だったと思われる
一喜一憂したワールドカップはこれで終了
メッシはご褒美をもらえたようだ


  

Posted by パパパ at 18:14Comments(0)サッカー

2022年11月29日

京都日帰り旅(少し前の)

久しぶりの投稿
3年ぶりに京都日帰り旅に出かけた(11月22日)
それで、少し前のあちらからのコピペから

この時期の京都は人が多く、バスでの移動は渋滞にハマると思い
時間が安定している電車・地下鉄を移動手段として選んだ
10時34分に京都駅について、そこから奈良線で東福寺駅まで行き
通天橋の東福寺には見向きもせずに、京阪に乗り換えて出町柳まで乗車
次に叡山鉄道の乗り換えて一乗寺駅で降りて、約一キロほど歩いて
目的の金福寺についた
所要時間は約一時間、、そんなものかな、、とい言う感じ






金福寺は特に紅葉が見事ということはない
どちらかといえば地味な寺で、芭蕉と蕪村で有名な寺らしいが
自分がここを訪れたのは「村山たか女」に関する遺品を見るためだ

村山たか女は大河ドラマ「花の生涯」に登場したついていない女性で
井伊直弼の愛人と想像されることもあった
そもそも井伊直弼は長男でもなく家族の中では
大老になるまでのポジションにいなかった
そののんびりできていた彦根時代に村山たかと知り合い
濃密な時間を過ごしたと思われる

ところが運命の悪戯で井伊直弼は江戸に行くこととなり
離れ離れになった村山たか女は、井伊直弼を影から支えることになった
井伊直弼の有名な「安政の大獄」のその対象者の調査等を
長野主膳の管理のもと京都で行った
ところが桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると
空気は一気に倒幕の流れになり長野主膳も村山たか女の息子も
倒幕派の刃に散ることになる

村山たか女も井伊直弼派の人物と認識されていたが
女なので(?)刑死のかわりに三条河原の一角に縛られたまま
3日放っておかれた
寒い時期なので放っておけば亡くなるだろうと、、想像したと思われる

だが村山たか女は生き残った
そして、見逃された彼女が行った先が金福寺で
結局彼女は明治の数年を生きることとなった

舟橋聖一の「花の生涯」と諸田玲子の「奸婦にあらず」では
村山たか女のついていない人生がそれぞれの視点・想像力で
物語化されている

自分はどうも運のない人が気になるので、この人物もどこか引っかかる
そこで村山たか女が直に書いた書とか、大事にしていたものが展示されている
この寺に訪れて、そこで何を感じるか、、を楽しむこととした

一番心がザワザワしたのは、井伊直弼から村山たか女に贈られた掛け軸で
掛け軸には井伊直弼の自筆で和歌が書かれている
これを村山たか女は34歳の時にもらって、ずっと大事にしていたらしい
その大事にした思いがこの掛け軸にどこかしら残っているようで
思わずキュンとしたのは、思い込みが激しすぎるのだろうか

この掛け軸の他に長野主膳に宛てた密書が展示されている
崩した文字で何が書かれているかさっぱりわからない
京都でスパイ活動をして倒幕派の動きを伝えているものらしいが
この密書からはどこか機械的な感じで、掛け軸から感じられるオーラは
伝わってこなかった

その他、村山たか女の自筆の文字がいくつか展示されていたが
上手い字でこの人の教養の高さを感じる事ができる

3年前のこの日(11月22日)は太秦の広隆寺で一年に一度だけ公開される
黄櫨染御袍を着用した崇徳太子像を見に行ったが
これもマニアックな人しか訪れないようで、自分の行くところは
へんてこなところが多くなっている

村山たか女のあの掛け軸を見た時の心の震えを後に
来た道を戻って叡山鉄道で出町柳へ
出町柳の近くは下鴨神社がある
せっかくなので行きあたりばったりの日帰り旅行の次の目的地にした


糺の森はまだ紅葉は進んでいなかった(11月22日現在)


落ち葉のある方が柔らかくて歩き良さそうなので、舗装されていない道を歩いた


歩いていると前回気づかなかったものが今度は目に入った


歴代の斎王を祀ったものだ
葵祭で主役のような斎王がこの場所でずっと祀られているのは
源氏物語を読んだり葵祭を見た身とすれば、見過ごすわけには行かなかった

下鴨神社は改めて建物がきれいだな!と感じた
スッキリしている
それは檜皮葺の屋根のせいなのか、直線が主体の建物のせいなのか
葵祭で勅使が使用する(?)舞殿もきれいだな、、と思ったりする

だがこのあたりで自分の体力の低下を感じてしまった
腰が痛いし脚が棒の様になりつつある
もう歩きたくない、、という持ちが徐々に大きくなる
それでも、、と思い重要な場所まで入ると気になったのがこれだ


下鴨神社は生まれた干支でお参りする祠が違い、この写真に従うのだが
自分の干支の「八千矛神」なんてのは耳にも目にもしたことがない
そこで帰りながらの新幹線で「八千矛神」を検索してみると
大国主命の別名らしい
そういえば八千矛神のすぐ上のオオナムチの神も大国主命の別名だし
その上のシコオノカミも大国主命の別名らしい

不意に、何故出雲の神様がここに祀られているのだろうと頭に浮かんだ
そういえば奈良三輪神社も出雲の神様を祀っている
奈良も京都も、御所の近くに出雲の神様が祀られているのは何故なんだろう
そしてその神社が天皇とどういう関係があったのだろうか?
このあたりは想像力の豊かな歴史家がいろんな仮説を掲げていそうなので
機会があったら、それらを探すのも悪くないだろう

ということで、3年ぶりの京都はちょっとした発見と
自分の体力の低下を感じた一日だった  

2022年11月01日

ワールドカップ日本代表決まる

サッカーワールドカップの日本代表が発表された
その選手たちは

▽GK
川島永嗣(39=ストラスブール)
権田修一(33=清水)
シュミット・ダニエル(30=シントトロイデン)
▽DF
長友佑都(36=東京)
中山雄太(25=ハダースフィールド)
吉田麻也(34=シャルケ)
谷口彰悟(32=川崎フロンターレ)
冨安健洋(23=アーセナル)
板倉滉(25=ボルシアMG)
伊藤洋輝(23=シュツットガルト)
酒井宏樹(32=浦和)
山根視来(28=川崎フロンターレ)
▽MF
遠藤航(29=シュツットガルト)
田中碧(24=デュッセルドルフ)
守田英正(27=スポルティング)
柴崎岳(30=レガネス)
伊東純也(29=スタッド・ランス)
堂安律(24=フライブルク)
鎌田大地(26=アイントラハト・フランクフルト)
南野拓実(27=モナコ)
久保建英(21=レアル・ソシエダード)
三笘薫(25=ブライトン)
相馬勇紀(25=名古屋グランパス)
▽FW
前田大然(25=セルティック)
浅野拓磨(27=ボーフム)
上田綺世(24=セルクル・ブリュージュ)

この発表時には過去にもいろんなドラマがある
一番残酷だったのは三浦知良が外されたときで
非情になるのも監督の役割(仕事)で、岡田さんのイメージする戦略に
彼のポジションはなかったとはいうものの
人はメンタルで生きている部分もあるので、あの時のみんなに与えたショックは大きく
一気にモチベーションを下げたこともあり、今でもあれは選択ミスだったと思う

トルシエさんの時は中村俊輔が外され
ジーコの時は久保が外された

そして今年外されたのは、大迫と原口元気だ
この二人は調子を落としていたが、前回大会では得点するなど活躍している
それでも、森保さんの選択は仕方ないかな、、と思う
だから意外という感覚はなかった

得点力不足が心配されるFWは前田大然と上田綺世、そして浅野拓磨
セルテックで好調を維持する古橋は選ばれなかった
彼は出場した日本代表戦で活躍できなかったためらしいが
彼の出た試合はいきなりぶっつけ本番みたいなスタメン構成で
あれで結果を出せというもの可愛そうな気がする(運がなさすぎる)

原口と大迫は想像できたが、個人的には柴崎も今度は選ばれないだろう
と予想したが残っていた
これなどは森保さんの好みなんだろうと思う

今回のワールドカップはヨーロッパのレギュラーシーズンの真っ只中で行われる
そのため選手の怪我が心配で、久保は先日の試合で肩を痛めたし
板倉も怪我をしていたし浅野拓磨も確か怪我をしていたような、、

先の話だと思っていたワールドカップのドイツ戦は今月の末
合宿の練習もなく、いきなり本番みたいな雰囲気だ

このような短期の勝負は、運を掴んだものとしか思えないような選手が生まれる
スぺイン大会のロッシ、イタリア大会のスキラッチもそうだ

「幸運の女神には前髪しかない」と言われる
チャンスはやってきたその時につかまないといけないという意味だが
日本の代表の中で大当たりする選手は出てくるのだろうか
(ラストチャンスをものにして代表に選ばれた相馬は前髪を掴んだ感じになっているが、、)

個人的には堂安、久保、鎌田のヨーロッパリーグで好調な選手に頑張ってもらいたい
伊東はちょっと自分のイメージに合わないので、活躍していても不安がある
人が人を選ぶというのは、難しい仕事だと思う
(結果が全てのプロの世界は厳しいな)
 


  

Posted by パパパ at 17:24Comments(0)サッカー

2022年10月10日

本の価格

ものすごい勢いで物の値段が上がってる
防衛策として出来ることは節約で
しばらくは本の購入は控えめにして図書館で借りることにしていた

でも自発的に購入してまでも読みたい本と、そこにある本は読みたい気分がだいぶ違う
そろそろ我慢ばかりではストレスが溜まってくる
そんな時、本棚をみると再読を促すようにこんなのが目に入った


一頃ハマった辻邦生の「ある生涯の7つの場所」と名付けられた作品だ
再読も節約になるので、読もうと思うが、本を取り出して価格を見ると驚いた
最初のハードカバーの単行本は980円だ
安い!
そこで全部の価格と総ページ数を調べてみた


こうしてみると改めて物価が高くなっているのを実感する
(というより昔が安すぎた?)

本の買取価格はその内容の価値ではなくて、現時点での需要によって決まってくるらしい
それはわからんではないが、なんだかなぁ~
自分が読みたくて購入した高めの本は、全体的な需要がなさそうだから売っても二束三文の感じ

ところでこんな諺があるらしい
「本を貸すバカ、返すバカ!」
なるほど、、わかる!
  

Posted by パパパ at 09:35Comments(0)日々徒然